第五次シリア戦争とは? わかりやすく解説

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第五次シリア戦争(前202年 - 前195年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 06:15 UTC 版)

シリア戦争 (プトレマイオス朝)」の記事における「第五次シリア戦争(前202年 - 前195年)」の解説

紀元前204年プトレマイオス4世急死しプトレマイオス5世がわずか4歳即位すると、エジプト宮廷では権力闘争触発した。葛藤宰相のアガトクレスとソシビオスにより先王王妃であり姉のアルシノエ3世殺害されたことから始まった。ソシビオスの最後不明だが、アガトクレスは怒ったアレクサンドリア群衆によりリンチを受けるまでのしばらくは摂政職を維持したものと見られる摂政はある顧問官から他の者に渡りエジプト事実上無政府状態陥った。 この混乱乗じてアンティオコス3世紀元前202年にコエレ・シリアへの侵攻再開した。彼はすでにマケドニアフィリッポス5世協議しエジプト外のプトレマイオス朝領土征服共有することで合意した。この同盟長続きしなかったが、アンティオコスはこの地域急速に席巻した。セレウコス軍はガザでしばらく挫折したものの、紀元前200年夏にヨルダン川上流近くのパニウムの戦いでエジプト軍決定的な打撃与えた一方カルタゴ破り地中海世界覇権国として浮上したローマ共和国は、フィリッポス5世アンティオコス3世エジプト侵攻断念するようにと要求した第二次ポエニ戦争契機急激に膨張した領土人口管理するのに必要なエジプト穀物輸入重視したローマは、エジプト情勢敏感に反応したフィリッポスアンティオコス両方とも、エジプト本土へ侵攻念頭に置かなかったため、彼らはローマ要求素直に応じた紀元前198年アンティオコス3世はコエレ・シリアの征服完了しカリアキリキア一帯散在するプトレマイオス朝海岸要塞襲撃した激化した王室内部紛争と共にエジプト司祭らの支援拡張され南部エジプトでの大反乱は、プトレマイオス帝国全域混乱反動起こした経済的な問題プトレマイオス政府にして課税増大させ、エジプト人の不満をさらに高めた紀元前195年プトレマイオス朝内政集中するために大幅に譲歩する和約セレウコス朝結んだ。第五次シリア戦争の結果セレウコス朝はコエレ・シリアを所有することになり、プトレマイオス5世アンティオコス3世の娘クレオパトラ1世結婚した

※この「第五次シリア戦争(前202年 - 前195年)」の解説は、「シリア戦争 (プトレマイオス朝)」の解説の一部です。
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