第二電信丸 沈没事件
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日本無線史 第四巻(電波監理委員会編, 1951年)の46ページには山口県の角島無線電信局に関し以下ように記されている。 "明治四十一年十二月二十八日未明、第二電信丸が当局沖合で沈没した時、初めて遭難通信を取扱った。" あたかも第二電信丸がSOSを発信し、それを角島無線JTSがキャッチしたかのように受取れる文面であり、これを引用したと考えられる文献もあるが、事実はそうではない。鳥取県境港から関門海峡を抜け瀬戸内海経由で大阪へ向かう予定だった第二電信丸が、1908年(明治41年)12月28日の早朝、山口県角島付近で座礁した。第二電信丸の乗客の一人が角島無線電信局JTSのアンテナを目印に角島まで泳ぎ付いたところを、角島無線電信局員に発見・救助された。 日本海の島に開業した角島無線JTSは陸地(本州)と海底ケーブルで結ばれている。日本無線史がいう角島無線JTSが行った遭難通信とは、海底ケーブルにより、有線電信で本州側と救助に関する連絡をとった通信を指している。 この明治41年(1908年)とは前述したとおり、逓信省が公衆通信サービスを創業した記念すべき年で、第一期として誕生した海岸局(5局)および船舶局(10局)は下表の通りであることが、広く知られており、第二電信丸に無線局が開設されていないことはいうまでもない。 1908年(明治41年)創業第一期の海岸局と船舶局(呼出符号、開局日) 周波数1,000kHz銚子無線(JCS、5月16日) 東洋汽船 天洋丸(TTY、5月16日) 日本郵船 土佐丸(YTS、6月21日) 大瀬崎無線(JOS、7月1日) 日本郵船 丹後丸(YTG、5月26日) 日本郵船 信濃丸(YSN、7月5日) 潮岬無線(JSM、7月1日) 日本郵船 伊予丸(YIY、5月26日) 東洋汽船 香港丸(THK、7月14日) 角島無線(JTS、7月1日) 日本郵船 加賀丸(YKG、6月7日) 東洋汽船 日本丸(TNP、11月16日) 落石無線(JOI、12月26日) 日本郵船 安芸丸(YAK、6月9日) 東洋汽船 地洋丸(TCY、12月14日)
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