第二期の作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:15 UTC 版)
『校異源氏物語』の完成をもって芳賀矢一記念会が解散したことにより、これ以後は形式的には池田亀鑑個人の事業になる。池田亀鑑は第2段階の作業として古注集成の編集に入ったが、もともと頑健な体質であったとは言い難い池田が体を壊したことや戦中・戦後の混乱があったこともあって本格的な古注集成の完成は一旦断念し、『校異源氏物語』の校異の部分を明融臨模本との異同を書き加えるなど若干改めたものを「校異編」としてその中心に置くと共に、完成した校訂本を使用して源氏物語の詳細な字句索引を作成し、それを「索引編」とした。またこれまでの本文研究のさまざまな成果を「研究編」としてまとめ、古注集成のために集められた諸資料の一部は「資料編」および「図録篇」にまとめられた。こうして完成した『源氏物語大成』は、1953年(昭和28年)6月から1956年(昭和31年)12月にかけて中央公論社より発行された。 池田亀鑑は続いて第三期の作業として本来の目標であった「源氏物語古注集成」の編纂作業にとりかかったとされているが、まもなく再度体調を崩し、『源氏物語大成』の刊行を見届けた後1956年(昭和31年)12月に死去してしまう。池田亀鑑は1926年(大正15年)に東京帝国大学文学部国文学科を卒業し、1956年(昭和31年)12月に死去したため、学者としての、研究生活のほぼ全期間を本書を作成する仕事に捧げたことになる。なお、源氏物語の古注集成を作る作業はその後何人かの学者に引き継がれ、『源氏物語古注集成』(おうふう)など、いくつかの成果が公表されている。
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