第二期NEW DOBB
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1984年、Dobbの脱退とともにメンバー再編。HIDEがリーダーとなる第二期「NEW DOBB」活動開始。キーボードを取り入れた80年代ニューウェーブサウンドへと変化していき、活動も北九州市と福岡市を頻繁に行き来するようになり、当時の音楽雑誌「Blue Jug」、地元タウン誌『おいらの街』等へ多く掲載されるようになった1985年10月、3度目となる北九州市民音楽祭グランプリをきっかけに、地元での人気に火が付き、当時ホームグランドだったライブハウス「Hard Days Night」に多くの人が詰めかけ、ホール展開へと成長していく。直後の北九州貿易開館ホールでは400人を集客することで、いよいよ東京進出に決意を固めたと同時に、レコード会社数社からのオファーも聞こえてきた。 当時、チューリップや甲斐バンド等を輩出したKBCラジオ「歌え若者」への出演をきっかけに、カリスマディレクターとして有名だった岸川 均に注目され、同キー局「フレッシュ サウンド コンテスト」へ参加。長崎公会堂での九州大会へと駒を進めるも、惜しくも無冠。グランプリは地元長崎の「横道坊主」。ただ、演奏直後に予期せぬスタンディング・オベーションが起こり、後に長崎ファンクラブができるほどの好演であった。また、横道坊主とも意気投合することで、直後に数回、長崎と北九州でのツーマンライブを行っている。 同年、キティレコード・オーデションに参加するがグランプリは福岡市のTHE KIDS。それをきっかけに、福岡市で人気バンドだったTHE KIDS、ヒートウェーブ、モードメーカーらと親交を深める。
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