第二期GM
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 17:02 UTC 版)
「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「第二期GM」の解説
詳細は「ゼネラルモーターズの歴史」を参照 GM社長として指名されたのはリー・ヒギンソン&カンパニー(ボストン)のジェームズ・J・ストロウ(James J. Storrow: -1926)で、財務専門家が社長となった。ストロウは11月23日から翌年1月26日までの2か月間弱を暫定的に社長を務めた。ついでトーマス・ニールが2代目社長となった。 経営権がなくなったデュラントだったが、GMの財務委員会長をその後一年間(1911年11月11日まで)務めている。デュラントが就いていたビュイック社長の後任にはチャールズ・ナッシュ(Charles W. Nash)が就いた。ナッシュ」はデュラント=ドート時代からデュラントの有能な片腕だった。これはデュラントの推薦をストロウが採用した人事であり、新経営陣からデュラントのすべてが否定されていたわけではないことを物語っている。ナッシュはビュイック社長としての功績を認められ1912年11月19日にはGM5代目社長を任された。ナッシュの椅子だったGMの経営の軸であったビュイック社社長後任にはウォルター・P・クライスラーが就いた。銀行を中心とした堅実な経営方針とそれを着実に実行したナッシュにより拡大一辺倒だったGMの事業は整理され、社内管理は強化され、GMは会社として安定した運営がなされるようになった。自動車ブランドはビュイック、キャディラック、GMトラック、オークランド、オールズモビルだけとなった。 ストロウは、アメリカン鉄道の役員も兼ねていたため、この縁でアメリカン鉄道にいたWPクライスラーをナッシュに紹介していた。
※この「第二期GM」の解説は、「ウィリアム・C・デュラント」の解説の一部です。
「第二期GM」を含む「ウィリアム・C・デュラント」の記事については、「ウィリアム・C・デュラント」の概要を参照ください。
- 第二期GMのページへのリンク