第三号墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/25 05:54 UTC 版)
ややいびつな後円部に小さな前方部が繋がった、前方後円形をした古墳。第五号墳とともに3世紀、秋葉山古墳群では初めの頃に造営された。前方部は昭和30年代に削平されて現存していないが、大正時代の記録から推定すると墳長は約51メートル、第二号墳とほぼ同じ墳長と考えられている。後円部は直径38~40メートルとやや不定形をした円形であると見られ、第二号墳以上に前方部の割合は小さかったものと推定される。後円部の高さは7.7メートルと見られている。また第三号墳には周濠の存在が認められている。 発掘調査の結果、墳頂部には9メートル×6~7メートルという大きな墓坑があると推定されているが、墓坑内にあると見られる埋葬施設の発掘はこれまでのところ行われていない。墓坑の上からは第二号墳と同じく、水銀朱が付着した土器、それから大型の壺など、埋葬儀礼に伴うと思われる土器が出土した。また墓坑上からは礫がまとまって検出されており、墓坑上に礫を並べていた可能性がある。 土器の中には弥生時代後期後半に相模地方独自に発達した壺に加えて、伊勢湾岸地域から広まった高坏がある。古墳時代開始前後に伊勢湾型の土器が広がる現象は東日本の太平洋岸沿岸各地で確認されていて、第三号墳の被葬者も相模川流域の在地勢力の中からいち早く外来の文化を取り入れ、相模川流域に大きな勢力を誇るようになった首長であることが想定される。 第三号墳の墓坑上で見られる土器や礫は、弥生式の墳丘墓や古墳時代前期前半の古墳にしばしば見られ、定型化した前方後円墳では見られなくなる特徴であり、第三号墳の纏向型の前方後円墳とも呼ばれる前方後円型の墳形とともに、弥生時代と古墳時代の過渡期の特徴を示すものと言える。
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