第三四五海軍航空隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/10 13:15 UTC 版)
「第三四一海軍航空隊」の記事における「第三四五海軍航空隊」の解説
紫電の制式採用を想定して編制した2個目の局地戦闘機隊。しかし紫電の量産は一向に進捗せず、代用機の零戦52型が主体となった。通称「光部隊」。 昭和19年1月15日、松山を原隊として鳴尾飛行場で開隊し、第一航空艦隊直轄となった。紫電72機を定数としたが、調達が間に合わず零式艦上戦闘機で代用した。昭和19年5月頃にようやく紫電を調達し、明治飛行場で訓練に従事した。一方、零戦練成隊は鳴尾に残留して実用機訓練を続行した。紫電はおろか零戦も不足し、稼動機が10機を超えることも困難で、6月の段階で零戦3・紫電3の稼動が精一杯であった。あ号作戦失敗後の再編により、実戦投入の機会なく昭和19年7月10日解隊した。飛行機隊はそのまま戦闘第四〇二飛行隊に改変され三四一空の指揮下に編入された。 全期間にわたって立見孝六郎司令(中佐)が統率。
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