第三回シケリア旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 19:59 UTC 版)
紀元前361年(-紀元前360年)、66歳頃、ディオニュシオス2世自身の強い希望を受け、3度目のシュラクサイ旅行を行うが、またしても政争に巻き込まれ、今度はプラトン自身が軟禁されてしまう。この時プラトンは、友人であるピュタゴラス派の政治家アルキュタスの助力を得て、辛くもアテナイに帰ることができた。 シュラクサイにおける哲人政治の夢は紀元前353年、プラトンが74歳頃、ディオンが54歳の若さにして政争により暗殺されたことによって途絶えた。 プラトンは晩年、著述とアカデメイアでの教育に力を注ぎ、紀元前347年(紀元前348年とも)、80歳で没した。
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