第三回(608年)以降
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裴世清を送って小野妹子が再度派遣された。この時は多くの留学生を引き連れ、その中に、高向玄理、南淵請安、僧旻、倭漢福因、恵隠らがいて彼らは隋の滅亡と唐建国を体験し、帰国後に7世紀後半の倭国の改革に貢献する。614年最後の遣隋使が派遣される。 612年から614年にかけて隋は高句麗に出兵するが、1回目で大敗し、戦費兵役負担から、次の2回にわたる遠征の最中に隋国内で反乱が起こり、618年に煬帝は殺害され隋は滅亡し唐が成立した。
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