第三回使節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)
1269年(文永6年・至元6年)2月、クビライは再び正使・ヒズル(黒的)、副使・殷弘ら使節団を日本へ派遣、高麗人の起居舎人・潘阜らの案内で総勢75名の使節団が対馬に上陸した。使節らは日本側から拒まれたため対馬から先には進めず、日本側と喧嘩になった際に対馬島人の塔二郎と弥二郎という2名を捕らえて、これらと共に帰還した。 クビライは、使節団が日本人を連れて帰ってきたことに大いに喜び、塔二郎と弥二郎に「汝の国は、中国に朝貢し来朝しなくなってから久しい。今、朕は汝の国の来朝を欲している。汝に脅し迫るつもりはない。ただ名を後世に残さんと欲しているのだ」と述べた。クビライは塔二郎と弥二郎に、多くの宝物を下賜し、クビライの宮殿を観覧させた。宮殿を目の当たりにした二人は「臣ら、かつて天堂・仏刹ありと聞いていましたが、まさにこれのことをいうのでしょう」と感嘆した。これを聞いたクビライは喜び、二人を首都・燕京(後の大都)の万寿山の玉殿や諸々の城も観覧させたという。
※この「第三回使節」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「第三回使節」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。
- 第三回使節のページへのリンク