第三回大会と自由党結党
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「国会期成同盟」の記事における「第三回大会と自由党結党」の解説
1881年(明治14年)10月に開かれる予定の第3回国会期成同盟大会での重要議題は各地で作成された憲法私案の審議であった。また、10月1日、10月2日の幹部相談会では常務委員の林包明を中心として大日本国会期成有志公会と自由党(準備会)を糾合して新党を結成する相談がなされた。そうした中、開拓使官有物払下げ事件が明るみに出て政府側を追及した結果、明治十四年の政変が起こって大隈重信が政府から追放された。と同時に政府は批判をかわすために1881年(明治14年)10月12日に国会開設の詔を発布し、1890年(明治23年)に国会を開設することを決めた。国会開設の目的が達せられたと判断した自由民権運動家達は大会での憲法私案の審議を見送り、政党を樹立すべきとの意見が大勢を占めた。なお、地方出身者層と都市出身者層との間で意見の相違が発生したため、嚶鳴社の沼間守一らは新党結成から離脱した。 10月18日に東京の井生村楼に全国各地から代表78人が集まって大会が開かれた。大会では議長に後藤象二郎、副議長に馬場辰猪が選ばれた。10月19日には自由党盟約・規約が作成され、10月29日には総理(党首)に板垣退助、副総理に中島信行が選ばれ、自由党が発足した。
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