第三回展―1911年
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「ミュンヘン新芸術家協会」の記事における「第三回展―1911年」の解説
1911年12月2日の「騒動」のあと、参加者が8人に減って、第三回にして最後のミュンヘン新芸術家協会の共同展覧会が12月18日から翌1912年1月1日までの会期で、タンハオザー画廊にて行われた。忠実に協会に残っていたのは、ベヒテイェフ、結婚したエルマ・バーレラ=ボッシ、エルプスレー、ジリウー、ヤウレンスキー、カノルト、コーガン、そしてヴェレフキンである。彼らは計58点の作品を展示した。 青騎士の名の下、カンディンスキーとマルクは総勢14名の芸術家による独自の並行展覧会を早くも組織し、同じ画廊で開催した。これには43点の作品が展示された。ブルリューク兄弟、カーラーとミュンターが、『青騎士』誌編集部による展覧会に転向した。その他には、アルベルト・ブロッホ、ハインリヒ・カンペンドンク、ロベール・ドローネー、エリザベート・イヴァノヴナ・エプシュタイン、アウグスト・マッケ、フランツ・マルク、ジャン・ブロエ・ニーストル(1884-1942)、ルソー、そしてアルノルト・シェーンベルクが作品を出展した。
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