第一次ヨーク調査(1899年)
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「シーボーム・ラウントリー」の記事における「第一次ヨーク調査(1899年)」の解説
ラウントリーが、ヨークの貧困を調査研究したのは、父であるジョセフ・ラウントリーの業績や、ロンドンで調査を行なったチャールス・ブースの業績に影響を受けてのことであった。ラウントリーは、ヨークの貧困層の生活状態について、全ての労働者階級の世帯を対象として訪問する、広範な全数調査を実施した。その結果、11,560世帯、46,754人の詳細な情報が集められた。この調査研究の結果から、1901年に出版されたのが 『Poverty, A Study of Town Life』であった。 その中でラウントリーは、ヨークの裕福な世帯についても調査をして、「健康的生活に要するものを確保できる...ために、それぞれの家族が毎週必要とする」最低限の金額を意味する「貧困線 (a poverty line)」を導き出した。この辛うじて生存を維持する水準は、光熱費、家賃、食料、衣服、世帯や個人の小物類の費用を賄う経費に相当し、世帯の規模によって調整された。ラウントリーは、科学的な手法を用いて、この水準を導き出したが、これは、それまでの貧困研究では用いられていないものであった。例えば、彼は当時の一流の栄養学者たち (nutritionists) に助言を求めて、人々が病気になったり、体重を減らしたりしないために必要となる、最低限のカロリー摂取量や、栄養バランスについても見出そうと試みた。次いで、ヨークにおける食料品の価格を調査し、地域で最も安い食料品の価格を基に、最低限の飲食物(英語版)を買い求めるのに必要な金額を計算して、貧困線を定めた。 この手法を用いたところ、ヨークの総人口の 27.84% は、貧困線を下回る水準で生活していることが明らかになった。この結果は、チャールス・ブースによるロンドンの調査の結果と一致するものであり、悲惨な貧困はロンドン特有の現象でありイギリスの他の地域には及んでいない、とする、当時一般的であった認識に挑戦するものであった。 ラウントリーは、貧困線を下回っている貧困層を、その貧困の理由によってふたつのグループに分けた。一次貧困 (primary poverty) の状態にある世帯は、基本的な生存に必要な物資を賄うのに必要な支出に見合うだけの収入を得ていなかった。二次貧困 (secondary poverty) に分類された世帯は、基本的な生存に必要な物資を賄うことが可能な収入がありながら、金銭を、飲酒や賭博など別の方面で消費してしまい、生活に必要な物資を賄えなくなっていた。 調査結果の分析において、ラウントリーは、人生のある一定の段階にある人々、例えば、高齢者や子どもたちは、他の年齢層に比べ、貧困線より下の深刻な貧困に陥りやすいことを見出した。これを踏まえて彼は、「貧困の循環 (poverty cycle)」という考え方を定式化したが、これは絶対的貧困 (absolute poverty) に陥ったり、そこから抜け出したりという往還を、人生の途上で経験する人々もいるということを示すものであった。 ラウントリーの主張は、貧困は低すぎる賃金がもたらす帰結だとするものであり、伝統的に考えられていた、貧困は貧困者自身に責任があるという見解に異を唱えるものであった。
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