第一次ランソン攻勢
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1884年12月、フランス議会はトンキンでの陸軍作戦を巡って紛糾。陸相は紅河デルタの確保を主張したが、強硬派はトンキン全土での総攻撃を主張。議論は強硬派の押す陸相が新たに着任したことで決着し、トンキン最大の都市ランソンに向けて総攻撃を開始した。前線基地を出撃したフランス軍は1885年1月3日から4日にかけての攻撃でNui Bopの広西軍守備隊を破り、ランソン攻撃の前哨戦に勝利を収めた(Nui Bopの戦い(英語版))。 ランソンに対する攻撃は1ヶ月の準備を要した。1885年2月3日、フランス軍は7,200人の正規軍と4,500人の現地兵を引き連れて攻撃を再開、清国軍20,000人が迎え撃った。フランス軍は装備運搬に難渋、またタイホア(西和)やドンソンでの激しい抵抗をうけた。しかし、10日にはランソン周辺部に到達、12日にランソン北部へ進出、清国軍はランソンを放棄して撤退した(第一次ランソン攻勢(英語版))。
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