第一次ギルバート諸島沖航空戦
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「ギルバート諸島沖航空戦」の記事における「第一次ギルバート諸島沖航空戦」の解説
11月21日朝、日本側は攻撃を免れたマロエラップ環礁から索敵機を出し、ギルバート諸島付近で5群のアメリカ艦隊を発見した。一部は重複誤認と推定される。なお、索敵任務の陸攻2機が未帰還となった。この報告に基づき宮前信己大尉率いる第755航空隊の陸攻14機がルオットから出撃し、アメリカ海軍第50.3任務群を攻撃した。この攻撃隊は、雷撃及び体当たりにより空母2隻と駆逐艦1隻の撃沈などを報じたが、指揮官機を含む7機が未帰還となった。アメリカ軍側の記録によると、軽空母「インディペンデンス」が魚雷1発を受けて損傷した。この戦闘を、日本側は第一次ギルバート諸島沖航空戦と命名した。 このほか11月22日未明にも日本側は陸攻7機を出撃させたが、戦果無く3機を失った。連日の損害で、第755航空隊の陸攻は稼動11機に減少してしまった。他隊の戦闘機は計38機が使用可能だった。同じ22日の日中には残存航空機をルオットから全力出撃させての機動部隊攻撃を試みたが、天候不良で引き返した。少数機はタラワの陸上目標に対して爆撃や物資の空中投下を行った。 ギルバート諸島の救援作戦を企図した日本海軍は、Z作戦によって各地から集まる航空戦力について、第22航空戦隊司令官の吉良俊一少将の下で、内南洋方面航空部隊として統一指揮を行うことにした。第22航空戦隊と第24航空戦隊及び第一航空戦隊から陸揚げする艦上戦闘機30機の使用が計画された。11月24日には、第24航空戦隊隷下の第752航空隊より陸攻18機がルオットに進出し、稼動戦力は陸攻28機と戦闘機24機となった。
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