第一次カラバフ戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 03:20 UTC 版)
「アゼルバイジャンの軍事史」の記事における「第一次カラバフ戦争」の解説
1992年夏、アゼルバイジャン大統領の同国内の部隊と編成の民主化に関する決議を受けて、アゼルバイジャン国防省は第295自動車化狙撃師団の第135および第139自動車化狙撃連隊の車両と兵器の管理を要求する最後通告を行った。アゼルバイジャンは4つの自動車化狙撃師団(第23、60、296、75)と、ミサイル・防空旅団、砲兵・ロケット連隊を含む所定の陸軍部隊からなるソ連第4軍の部隊の配備地域であった。同軍はロシア連邦国防省ロケット・砲兵総局の第49兵器庫を管理しており、その中には10億発を超える弾薬が保管されていた。第4軍の装備品(1992年に第23師団の第366自動車化狙撃連隊がステパナケルトから撤退した際にアルメニア軍に鹵獲された同連隊の装備品の一部を除く)と第49兵器庫の移転は1992年に完了した。したがって、1992年末までに、アゼルバイジャンは所定の陸軍部隊を備えた約4つの自動車化狙撃師団に十分な武器と軍用品を受け取った。また、解散した第19防空軍から50機の戦闘機と海軍の艦艇も受け継いだ。 アゼルバイジャン軍は1992年から1994年の第一次ナゴルノ・カラバフ戦争でアルメニアに大敗し、アゼルバイジャンの領土の16%を占めるナゴルノ・カラバフ本土とその周辺の7つのラヨンの支配権を喪失した。アゼルバイジャンの情報筋は[要出典]アルメニアの勝利は主にロシアと裕福なアルメニア人のディアスポラからの軍事援助によるところが大きいと主張したが、アルメニア側はロシアはアルメニア側とアゼルバイジャン側に武器と傭兵を等しく供給していたと述べ、この主張を一部否定した。アゼルバイジャン陸軍は、ロシア人、ウクライナ人、チェチェン人、アフガニスタン人の傭兵を雇用し、戦争中はトルコの軍事顧問の支援を受けていた。
※この「第一次カラバフ戦争」の解説は、「アゼルバイジャンの軍事史」の解説の一部です。
「第一次カラバフ戦争」を含む「アゼルバイジャンの軍事史」の記事については、「アゼルバイジャンの軍事史」の概要を参照ください。
- 第一次カラバフ戦争のページへのリンク