穴川 (志摩市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/09/27 13:25 UTC 版)
穴川(あながわ)は、三重県志摩市磯部町の地名(大字名)である。郵便番号は〒517-0213。人口は1,192人(2005年10月1日現在、『平成17年度国勢調査』による[1])。
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地理
伊雑ノ浦(いぞうのうら)の南側奥に位置し、大規模なウナギの養殖を行っていることで知られる。 地形的には山地・台地に谷が食い込み複雑な地域である[2]。
- 伊雑ノ浦
- 池田川(磯部川支流)
北および西は磯部町迫間、東は磯部町坂崎、南は阿児町鵜方・浜島町迫子と接する。
主な小字
- 中街道(池田川より北の地域)
- 黒岩(地域の東部)
- 土橋(地域の南部)
- 浅野(地域の南部)
歴史
現存史料での初出は「穴河」と書かれていた室町時代の書物『氏経神事記』の永享11年12月25日(ユリウス暦1440年1月29日)の条である。同書によると穴河から伊雑宮の「里直会」で饗膳役が出て、1膳勤仕したという。穴河には検校屋敷が7軒あったとされ、伊雑神戸(いざわのかんべ、現在の志摩市磯部町)の事務を司った[3]。戦国時代には「磯部七郷」の一つに数えられていた[4]。
江戸時代には穴川村として、鳥羽藩磯部組(志摩国答志郡)に属した。村高は延享3年(1746年)時点で589石だった[3]。中村新田[3]や三角州の低湿地帯を干拓した兵七新田[5][6]などの新田開発が行われ、現在に至るまで農業が穴川の主産業となっている[2]。また、この時開発された大庄屋新田(おじやしんでん)からは弥生時代の遺跡が見つかった[2]。小規模な漁業も行われていたようで、ハゼ・ツエ・スバシリ(ボラの幼魚)・フナなどを網でとらえたという記録がある[5]。
明治時代に入ると磯部村の1大字となり、2度の合併を経て志摩市の1地区となる。
沿革
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により答志郡磯部村成立。磯部村穴川となる。
- 1889年(明治22年) - 答志郡と英虞郡が合併したことにより、志摩郡磯部村穴川となる。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 昭和の大合併により、志摩郡磯部町穴川となる。
- 2004年(平成16年)10月1日 - 平成の大合併により、志摩市磯部町穴川となる。
人口の変遷
年次 | 世帯数〔世帯〕 | 人口〔人〕 | 出典資料 |
延享3(1746) | 68 | 394 | 鳥羽領内村々禄高調[3] |
明治13(1880) | 92 | 551 | 海陸産物一覧表[5] |
明治22(1889) | 140 | 951 | 町村分合取調書[3] |
昭和55(1980) | 312 | 1,235 | 昭和55年度国勢調査[2] |
地名の由来
古来土器を焼く「穴師」がいたことに由来するという[7]。穴川は良質な粘土が得られた[7]。
地域の主な施設
- コメリ磯部店
- 伊勢志摩エバーグレイズ
- 伊勢志摩ユースホステル
- 道の駅伊勢志摩
- サンアール磯部(場外馬券発売所)
交通
- 国道167号(鵜方磯部バイパス)
- 三重県道61号磯部大王線
- 三重県道129号磯部大王自転車道線
- 近鉄志摩線 (かつては当地区内で伊雑ノ浦の海岸線に沿って通っていたが、西の山寄りにトンネルを掘って線形改良・複線化を行い、穴川駅とともに1993年に移転。)
- ※地域北部からは志摩磯部駅も近い。
小中学校の学区
公立の小・中学校に通う場合、小学校は志摩市立磯部小学校、中学校は志摩市立磯部中学校の学区となる。いずれも磯部町恵利原にある。
郷土の人物
- 林玄仲(はやし げんちゅう)
- 江戸時代から明治時代の人物(寛政7年6月27日 - 明治11年8月21日〔グレゴリオ暦1795年8月11日 - 1878年8月21日〕[8]。)。幼い頃は大形半次郎を名乗った。17歳で医師を志して江戸に上り、今治藩の侍医を務めた。晩年は帰郷して山田(現在の伊勢市)に住み、明治維新の後には度会県[9]の役人となった[10]。また「義倉講金」を創設、後に磯部小学校の建設資金として使われた[10]。その遺徳を讃え、志摩市立磯部小学校の正門前に石碑が立てられている[3]。
その他
磯部の御神田の奉仕区である。
参考文献
- 中野順蔵『神路川 磯部小史』三光社、昭和56年4月、273pp.
- 山下佐美太『磯部郷土史』磯部尋常高等小学校、昭和11年5月30日、36pp.
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643pp.
- 『三重県の地名』日本歴史地名大系24、平凡社、1983年5月20日、1081pp.
脚注
- ^ 志摩市役所『第5章磯部地域の地域構想』(2010年2月26日閲覧。)
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、1983、1418ページ
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、1983、92ページ
- ^ 山下、1934、14ページ
- ^ a b c 平凡社、1983、713ページ
- ^ 『神路川 磯部小史』130ページによると、伊勢国度会郡一色村(現在の伊勢市一色町)出身の石井武右エ門が開拓した。過去4度の自然災害に遭いながら現在まで維持されてきた。
- ^ a b 中野、1981、10ページ
- ^ 山下、1934、16ページ
- ^ 現在の三重県南部を管轄した県。県庁所在地は山田(現、伊勢市)。
- ^ a b 中野、1981、81 - 84ページ
関連項目
- 穴川(曖昧さ回避項目)
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