墓所と供養
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墓は志摩市磯部町穴川の北方の丘の上にある穴川共同墓地内にある。墓碑には、表面に「齢仙院玄仲居士 文久三癸亥年自建之」、背面に「一切衆生罪滅生善」と刻まれ、東脇に「南無妙法蓮華経」、西脇に「南無阿弥陀仏」と記された副碑が建立されている。 1900年(明治33年)11月6日に13回忌として磯部村の職員や村の各区長などを招き、安心寺で大法要を行った。磯部町穴川では毎年8月15日に安心寺にて玄仲の追善供養のために施餓鬼を行っている。
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墓所と供養
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 15:39 UTC 版)
墓所 京都市の慈舟山瑞泉寺に、豊臣秀次の石碑と、処刑された家臣・眷族を慰霊する五輪の塔(五輪卒塔婆)がある。上記の眷族の遺骸は三条河原で処刑された後、墓も造られず、穴を掘って埋められたため、この塚をかつては「秀次悪逆塚」や「畜生塚」と呼んだが、打ち捨てられて状態を憐れに思った僧・慶順によって庵とされた。さらにそれが水害で流れた後には豪商・角倉了以によって現在の形に直されている。 京都市左京区の妙慧山善正寺は秀次の母瑞龍院日秀(とも)が1600年に秀次一門の菩提寺として建立した日蓮宗の寺院である。秀次の戒名である「善正寺殿高岸道意大居士」から寺号を善正寺としている。秀次の墓所にある善正殿には秀次の首塚と五輪塔、秀勝、秀保の墓が納められており、善正殿の傍らには「豊臣秀次一門ノ供養塔」が経つ。本堂には瑞龍院日秀(とも)が生前、仏師に彫らせた秀次の木坐像が安置されている。 供養 豊臣秀次の命日の7月15日には、村雲御所瑞龍寺の門跡により、八幡山(滋賀県近江八幡市)で供養が行われる。
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