墓廟・命日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 09:09 UTC 版)
「ベニート・ムッソリーニの死」の記事における「墓廟・命日」の解説
1957年9月1日、プレダッピオにあるムッソリーニ家の納骨堂で、詰め掛けた支持者らがローマ式敬礼を行う中、ムッソリーニの改葬が実施された。ムッソリーニの遺体は大きな石棺(サルコファガス)の中に横たえられた。石棺のある墓廟にはファシスト党のシンボルが飾られており、ムッソリーニをかたどった大理石の頭像が設置されているほか、墓廟の前には参拝者が記名するためのノートが置かれている。ムッソリーニの墓廟はネオ・ファシストにとっての巡礼地のひとつとなっている。ノートに記名する訪問者は1日に数十人から数百人程度だが、重要な記念日には数千人が記名することもある。ノートに書き込まれるコメントのほとんどは、ムッソリーニを支持する内容となっている。 ムッソリーニの命日である4月28日は、ネオ・ファシスト達が大規模な集会を行う重要な3記念日のひとつでもある。プレダッピオではこの日、ムッソリーニの支持者が町の中心から納骨堂の前まで行進する。この行事には通常、数千人が参加し、スピーチや合唱、ローマ式敬礼などが行われる。
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