墓所と法名および没年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 01:01 UTC 版)
墓所と法名および没年の所伝は以下のとおり(「西尾市史2 古代中世近世上」に拠る。197項より200項)。 愛知県西尾市八ツ面町の真成寺。五輪塔の下部が現存し「荒川氏」「仙林院殿之墳」と刻まれている。仏林院殿前甲斐刕太守、永禄8年8月28日卒。 同・寄近町の法厳尼寺。五輪塔および宝篋印塔が現存。前掲「参河志」掲載の所伝では、その法名を仙林院花山洞栄居士と記し、同17巻「幡豆郡」寄近村の項には「荒川甲斐守頼持」父子の墓ありとしている。 同・上道目記町の不退院。ここは市場姫の墓所ともなっており、墓と位牌がある。寺記によると同地における戦闘により、永禄10年9月29日戦死したという。夫妻の葬儀はここで営まれ、戒名は不退院殿智空上衍大居士で、その位牌が安置されている。また義広は菩提所である不退院の再建に尽力し、功績を残した城主として寺記にその名を残している(この部分につき「西尾市史」未掲載)。 妻・市場姫(徳川家康の異母妹)は文禄2年(1593年)に入没した。戒名は松月院殿柱輪貞操大姉で夫妻とも不退院第6世本翁意伯が葬儀の導師を勤めている。
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