科学者・天文学者・数学者としての張衡
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「張衡 (科学者)」の記事における「科学者・天文学者・数学者としての張衡」の解説
張衡は力学の知識と歯車を発明に用いた。彼の発明には、世界最初の水力渾天儀(117年)、水時計、候風儀と呼ばれる風向計、地動儀(132年)、つまり地震感知器などがある。地動儀は500キロメートル離れた地点の地震を感知することができた。ある日、地動儀の設置場所からみて西北方向の地震の揺れを感知したが、人々は少しの揺れも感じないことがあった。一部の人は地動儀の誤りを疑った。しかし数日後、甘粛から急使が来て、地震の発生のことを報告した。このことがあって以来、地動儀の正確性を疑うことはなくなったという。 張衡は「渾天説」の立場に立ち、天文学書として『霊憲』『霊憲図』『渾天儀図注』を著した。2500個の星々を記録し、月と太陽の関係も研究した。著書の「霊憲」において月を球形と論じ、月の輝きは太陽の反射光だとした。「霊憲」には以下の記述がある。 月光生于日之所照、魄生于日之所蔽;当日則光盈、就日則光尽也。 また続いて以下の記述があり、 当日之冲、光常不合者、蔽于地也、是謂暗虚、在星則星微、遇月則月食。 張衡が月食の原理を理解していたことがわかる。月の直径も計算したとされ、太陽の1年を、365日と1/4と算出した。なお、彼の天文の研究や地震計の発明には、2世紀に入り、後漢に天災が多発しだした時代背景がある。また月光の原理は紀元前1世紀頃の書物にはすでに現れており、張衡の理論もこれら伝統的な天文学の成果を踏まえたものである。 数学書としては「算網論」を著した。彼は円周率を算出してπ=3.16強としており、この近似値を得たのはインド・アラビアに比べて400年ほど早い先駆的なものであった。 現代の中国でも高く評価され、小惑星(1802 張衡)には、彼の名がつけられている。また中華人民共和国政府が指定した「中国古代科学家」に祖沖之、一行、李時珍とともに選ばれている。2018年2月に打ち上げられた電磁環境モニター試験衛星は彼の名を冠し、張衡1号(中国語版)とされた。1986年に隕石から発見されたツァンヘン鉱は張衡の名にちなんで名付けられた。
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