科学者・技術者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 10:10 UTC 版)
1985年、電機メーカーの富士通に入社した。富士通では半導体事業本部に所属し、主としてシリコンウェーハ技術を中心とする集積回路のプロセス技術の開発などに従事した。また、かつて国が設置・運営し、のちに同名の国立大学法人に移管されることになる新潟大学にて、教育研究院の自然科学研究系で電子物性研究室にて後藤輝孝、根本祐一らと共同研究に従事し、シリコン結晶中に含まれる原子空孔の観測などに取り組んでいた。 2006年、新潟大学に採用され、物質量子科学研究センターの特任教授を経て超域研究機構(研究推進機構超域学術院)の教授に就任した。大学院においては、自然科学研究科の数理物質科学専攻の講義を担当し、後藤輝孝、根本祐一とともに電子性研究室に所属した。。2012年、九州工業大学に転じ大学院工学研究院にて特任教授に就任した。九州工業大学では大学院の一部に研究院・学府制が導入されており、大学院においては主として工学府の研究・教育を担当した。その後、同じく九州工業大学の大学院に設置されている生命体工学研究科に異動し、特任教授に就任した。なお、工学研究院・工学府とは異なり、生命体工学研究科には研究院・学府制が導入されていないため、従来の研究科制のままである。九州工業大学においては、主としてパワーデバイス用シリコンの研究に従事した。
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