私鉄の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
1930年までには、現在大手私鉄と呼ばれている鉄道会社の主要路線が開通している。現:相模鉄道以外は、この段階で既に電化されていた。私鉄の路線建設や経営に関しては、東武鉄道の根津嘉一郎、西武鉄道の堤康次郎、東京急行電鉄の五島慶太、阪急電鉄の小林一三など個性的な経営者が輩出し、鎬を削った。路線敷設の権利問題では種々の裏話もあり、「ピストル堤」(堤康次郎)や「強盗慶太」(五島慶太)など、物騒な通称で呼ばれた経営者もいた。 乗客誘致のため、沿線の宅地開発を行ったり、遊園地などの集客設備を作った例も多かった。阪神電鉄は1924年に甲子園球場を建設し、1935年にはプロ野球チーム大阪タイガース(後の阪神タイガース)を設立したが、ライバルの阪急電鉄は翌年阪急軍(後の阪急ブレーブス)を設立して対抗した。これらの施策は多くの会社で行われ、関西圏に多くの球団が存在する要因となった。 また、ターミナル駅へのデパート併設は1920年の阪急梅田駅が最初で、その後各私鉄のターミナルに次々とデパートが設置されるようになった。 鉄道国有化による買収が終了した後も、小規模ながら私鉄が国有化される事例があった。多くは改正鉄道敷設法に記された路線に該当するという理由によるものであったが、第二次世界大戦中には戦時買収私鉄として、国策上必要な産業用路線を有する路線も国有化対象になっている。
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