福の神
『捜神記』巻17-9(通巻408話) 臨川の陳臣は大金持ちだった。永初元年某日、邸内の群竹の中から大男が現れ「わしは長年この家に住んでいたが、お前と別れることになった」と告げた。男がいなくなってから、大火事が出たり下男下女が死んだりして、1年のうちに陳臣はすっかり貧乏になった。
★2.福の神たちの競争。
『福の神』(星新一『妖精配給会社』) 金運を祈るエル氏に福の神が乗り移り、「長寿と財産を授ける」と約束する。福の神は休みなくエル氏に働くことを命じ、財産は増える一方だが、使うことは一切許されない。福の神たちは、人間の一生の間にどれだけ財産ができるか競い合っており、エル氏の福の神は、世界新記録を目指しているのだった。
*星新一は、貧乏神の物語も書いている→〔貧乏神〕4の『ポケットの妖精』。
キジムナーの伝説 「キジムナー金持ち」と呼ばれる家があった。家のウスク木の根もとの洞穴に、化け物キジムナーが住んでいて、主人と一緒に漁に出かける。すると、いつも船いっぱいに魚が取れた。これをねたむ人が、キジムナーの留守に洞穴を焼いてしまう。キジムナーは住む所がなくなったので、出て行く。以後その家は、1匹も魚が取れず、貧しくなった(沖縄県島尻郡南風原町神里)。
『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』(宮沢賢治) 10人の子供たちが両手をつないで円くなり、座敷の中を回って遊んでいると、いつのまにか11人になっている。皆、はじめからいた顔ばかりで、誰が増えた1人なのかわからない。それでも確かに1人増えている。その増えた1人が、ざしきぼっこなのだ。
『遠野物語』(柳田国男)17 旧家には、しばしばザシキワラシという神が住んでいる。多くは12~13歳の童児で、折々、人に姿を見せる。近頃、今淵勘十郎という人の家で、高等女学校にいる娘が休暇で帰って来ていたが、ある日、廊下でザシキワラシに出会い、大いに驚いた。これは男児のザシキワラシだった。この神の宿る家は、富貴自在であるという。
*一本足・一つ目のザシキワラシ→〔枕〕4のざしきわらしの伝説。
『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』(宮沢賢治) 旧暦8月17日の晩、紋付袴姿で刀をさしたきれいな子供(=ざしきぼっこ)が、渡し船に乗った。子供は、「笹田の家に飽きたから、斎藤の家へ行く」と、渡し守に告げる。それから笹田家はおちぶれ、斎藤家では病人が治り息子が大学を出て、立派になった。
ざしきわらしの伝説 何百年か前。砂子沢(いさござわ)の東の方、朝日の出る所に、朝日長者の大きな屋敷があった。奥座敷には、人の目にはっきりとは見えないが、いつも座敷わらしが遊んでいた。ある時、どういうわけだか、座敷わらしは、砂子沢の西の方の貧乏な家へ行ってしまった。するとその家はだんだん金持ちになり、夕日長者と言われるようになった。座敷わらしのいなくなった朝日長者は、破産してしまった(岩手県遠野市附馬牛町)。
『遠野物語』(柳田国男)18 旧家である山口孫左衛門の家には童女の神が2人いる、と言い伝えていた。ある年、村の男が橋のほとりで、見馴れぬ娘2人に出会った。娘たちは「山口孫左衛門の所から来た。これから某村の何某の家へ行く」と言うので、男は「孫左衛門の世も末だな」と思う。それからまもなく、孫左衛門家の主従20幾人が1日のうちに死んでしまった。
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