神戸連続児童殺傷事件との関係について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:40 UTC 版)
「永山則夫」の記事における「神戸連続児童殺傷事件との関係について」の解説
永山の死刑執行について「同年6月28日に逮捕された神戸連続児童殺傷事件の加害者が少年(当時14歳11か月)だったため、少年犯罪への抑止力とするために永山を処刑した」とする指摘がなされている。 坂本敏夫は、自著『死刑と無期懲役』 (2010) で、永山の死刑執行について「法務省から神戸事件に対する『少年でも凶悪な殺人事件を起こしたらこうなるぞ!』というメッセージだ。同時に処刑された夕張保険金殺人事件の死刑囚2人(札幌刑務所で死刑執行)も死刑確定の経緯から、処刑しにくい死刑囚だったが、この時期は世論に凶悪事件への憤りがあったため、そのタイミングで厄介な死刑囚だった永山ら3人を処刑したのだろう」と述べているほか、『死刑執行命令』 (2010) でも「死刑囚を闇の中で葬りたい法務省にとって、裁判経過に多くの弁護士・学者・人権活動家が関心を持ち、世界的にも有名になった永山は非常に厄介な存在だった。また、(1997年)当時は東京拘置所に30人余りの死刑確定者(死刑囚)が収監されていたが、永山より古い死刑確定者が10人以上おり、その順番を考慮すれば永山の死刑執行は数年先になるはずだった。しかし、神戸事件(サカキバラ事件)の加害者少年Aが逮捕されたことをきっかけに、一部の刑務官たちの間で『永山が処刑されるのではないか?』という声が上がり始め、逮捕後には永山の現況を照会する電話がたびたび法務省から入り、やがて死刑確定者現況照会が文書で届いた。そして拘置所内部で関係幹部を集めて会議を行った結果、『心身ともに健康で、再審請求の新たな動きはない』(=刑の執行ができない特段の事情なし)として報告された。7月中旬には幹部刑務官たちの間で『近日中に永山が処刑される』という認識になり、職員たちは(死刑執行時に抵抗が予想される)永山が暴れる時に備えた対処訓練を繰り返していた」と述べている。また、永山の元身元引受人・井戸秋子は、遠藤誠宛ての手紙(1997年8月9日)で「神戸の事件で犯人の少年が逮捕され、少年法改正の話が出た時から、永山が処刑されるのではないかという不安があった」と述べている。 しかし、松浦法務大臣は同年8月5日の閣議後記者会見で「永山の死刑執行は神戸事件とは無関係だ」と述べている。
※この「神戸連続児童殺傷事件との関係について」の解説は、「永山則夫」の解説の一部です。
「神戸連続児童殺傷事件との関係について」を含む「永山則夫」の記事については、「永山則夫」の概要を参照ください。
- 神戸連続児童殺傷事件との関係についてのページへのリンク