社会経済的要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 22:40 UTC 版)
ジャーティにおける慣行と序列はインド社会を停滞化・膠着化させた元凶といわれ、封鎖的で独善的な諸傾向を助長し、愛郷心や愛国心の発達を疎外したと指摘されることが多い。しかしこの制度は、前近代における経済発展の一定段階においては生産力を向上させ、それを保持していくのに効果があった。また、特殊技能を高度で精緻な段階に引きあげる役割を果たし、自給自足経済に呼応した安定性も有していた。このように、為政者にとって都合のよいものだったため、ヒンドゥー王国の支配者のみならずムガル帝国などのイスラーム政権もこれを温存し、その上に君臨するという手法を採用した。後述するように、それはイギリス帝国も同様だったのである。 一方、上述したように、ジャーティが自治的機能を有する共同体であり、個人の最低限の生活を保障する役割を果たしてきたため、被支配者であった民衆もまたこれを維持しようとしてきた側面がある。各ジャーティがもつネットワークは、婚姻を通じて拡大し、それぞれの文化や生活、習慣の遵守によって強化され、今日でもジャーティ内部の争いの調停、就職支援、病人・貧困者に対する扶助などもそのなかでおこなわれている。個々人におけるジャーティへの強力な帰属意識は、相互に直接の血縁関係はなくても「大家族」の原理をそのまま拡大したに等しいものであった。インド大反乱の契機がスィパーヒーの使用する銃の薬莢に牛脂・豚脂が塗られているという噂から発生した背景には、禁忌を犯してジャーティから排除されることはインド社会では破滅であり、生きるすべを失ってしまうという事情が介在していた。
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