磐田教会と聖マリア幼稚園設立とは? わかりやすく解説

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磐田教会と聖マリア幼稚園設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 02:17 UTC 版)

ジャン・バルビエ」の記事における「磐田教会と聖マリア幼稚園設立」の解説

バルビエは、中国所属していた教会閉鎖されたこともあって、積極的に新し教会設立するための活動行った浜松教会赴任すると、磐田方面担当することとなったため、この地区教会設立しよう模索する1955年昭和30年)、浜松教会信者金原吉朗の協力磐田市西町民家購入同年10月26日にはバルビエ浜松から移住し磐田カトリック教会」の看板掲げた1956年昭和31年2月6日当時横浜教区長であった荒井勝三郎から磐田教会小教区正式に認可されバルビエ主任司祭となった当初西町民家司祭館及び礼拝堂とし活動始めたバルビエは「どうすれば市民親しくなれるか」と考え当時幼児教育不足していたこともあり、幼稚園設立動き出す当時パリ外国宣教会司祭であるジョセフ・デヴィスは、すでに1951年昭和26年)に静岡市にて静岡聖母幼稚園設立しており、バルビエデヴィス相談し賛同得たが、資金援助断られた。1957年昭和32年2月バルビエ休暇取ってフランスへ帰国資金調達奔走し同年12月帰国した。この資金加え浜松教会パリ外国宣教会等の多方面からの援助や、当時磐田商業高校校長であった山崎升協力もあって幼稚園設立計画具体化したまた、バルビエモンテッソーリ教育綿密に研究し開園備えた1959年昭和34年)、磐田市国府台に812坪の土地購入し園舎建設着工、翌1960年昭和35年4月9日竣工し「聖マリア幼稚園」として祝別が行われ、バルビエ初代園長となった同年9月4日には幼稚園隣接して司祭館完成し教会西町民家から司祭館一室へと移転した1968年昭和43年6月2日バルビエ念願であった聖堂建設着工する。磐田教会信者2年余り資金積み立てた足りず資金不足の状態での着工となった。しかし、フランス信者パリ外国宣教会等の多方面からの援助により資金不足解消し同年10月6日無事に献堂式が行われ聖堂完成した

※この「磐田教会と聖マリア幼稚園設立」の解説は、「ジャン・バルビエ」の解説の一部です。
「磐田教会と聖マリア幼稚園設立」を含む「ジャン・バルビエ」の記事については、「ジャン・バルビエ」の概要を参照ください。

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