磐田教会と聖マリア幼稚園設立
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「ジャン・バルビエ」の記事における「磐田教会と聖マリア幼稚園設立」の解説
バルビエは、中国で所属していた教会が閉鎖されたこともあって、積極的に新しい教会を設立するための活動を行った。浜松教会に赴任すると、磐田方面を担当することとなったため、この地区に教会を設立しようと模索する。1955年(昭和30年)、浜松教会信者の金原吉朗の協力で磐田市西町に民家を購入、同年10月26日にはバルビエも浜松から移住し「磐田カトリック教会」の看板を掲げた。1956年(昭和31年)2月6日、当時の横浜教区長であった荒井勝三郎から磐田教会小教区が正式に認可され、バルビエは主任司祭となった。当初は西町の民家を司祭館及び礼拝堂とし活動を始めた。 バルビエは「どうすれば市民と親しくなれるか」と考え、当時は幼児教育が不足していたこともあり、幼稚園の設立に動き出す。当時、パリ外国宣教会の司祭であるジョセフ・デヴィスは、すでに1951年(昭和26年)に静岡市にて静岡聖母幼稚園を設立しており、バルビエはデヴィスに相談し賛同を得たが、資金援助は断られた。1957年(昭和32年)2月、バルビエは休暇を取ってフランスへ帰国、資金調達に奔走し同年12月に帰国した。この資金に加え、浜松教会やパリ外国宣教会等の多方面からの援助や、当時の磐田商業高校校長であった山崎升の協力もあって幼稚園設立の計画は具体化した。また、バルビエはモンテッソーリ教育を綿密に研究し開園に備えた。1959年(昭和34年)、磐田市国府台に812坪の土地を購入し園舎建設を着工、翌1960年(昭和35年)4月9日に竣工し「聖マリア幼稚園」として祝別式が行われ、バルビエは初代園長となった。同年9月4日には幼稚園に隣接して司祭館が完成し、教会は西町の民家から司祭館の一室へと移転した。 1968年(昭和43年)6月2日、バルビエの念願であった聖堂建設に着工する。磐田教会信者が2年余り資金を積み立てたが足りず、資金不足の状態での着工となった。しかし、フランスの信者やパリ外国宣教会等の多方面からの援助により資金不足は解消し、同年10月6日、無事に献堂式が行われ聖堂は完成した。
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