知事とスルタン制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 00:38 UTC 版)
「ジョグジャカルタ特別州」の記事における「知事とスルタン制度」の解説
知事職は、ジョグジャカルタを特別州とすることを定めた1950年の法律によりスルタンが知事を、副知事はパクアラム公が務めることが明記されている。 1988年にハメンクブウォノ9世が死去すると、息子のハメンクブウォノ10世がスルタン位を継承し、副知事のパクアラム8世が知事を務めた[要出典]。1998年、パクアラム8世の引退に伴い、インドネシア政府は特別州知事の世襲制を廃し選挙制を導入したが、州議会は前述の1950年の法律を根拠にハメンクブウォノ10世を知事に選出、2003年までの任期を副知事なしで現スルタンが就任した。2008年までの任期には議論の末、知事に現スルタン、副知事に現パクアラム公が就任した。2008年までの知事・副知事の任期後は現スルタンは州知事に着かないことを明言していたが、政府とユドヨノ大統領の直接の交渉により3年間の特別任期延長がおこなわれた。 知事制の今後については現在、他国の立憲君主制を参考にしたり文化や歴史も考慮しつつ、ガジャマダ大学の法学者や有識者も加えてさまざまな角度から審議中である。ハメンクブウォノ10世は5人の子供全てが女性で、男子がおらず、継承問題が懸念されている。ジョクジャカルタの歴代スルタン10人は全て男性で、「正室の長男を充てる」という内規がある。ハメンクブウォノ10世は毎日新聞の取材に対して、「王室制度も男女平等を定めたインドネシア憲法に従わなくてはならない」と述べるなど、王女へスルタン位を継承する意向を示しているが、異母弟が反対を表明するなど王族内には異論がある。 ハメンクブウォノ10世は州民から概ね尊崇されているが、貧困層が多いにも関わらずスルタン家が膨大な蓄財をしていることへの批判・不満も出ている。またスルタン家は日本の皇室とも交流があり、1991年には当時天皇在位中であった明仁がジョクジャカルタを訪問した。
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