知事としての遺産と引き継ぎ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 05:48 UTC 版)
「ジョセフ・デシェイ」の記事における「知事としての遺産と引き継ぎ」の解説
デシェイの知事としての任期中におきた多くの論争がその評判を著しく傷つけた。歴史家のハリソンは、1825年にケンタッキー州を訪れた者が、「(デシェイは)才能があると言う人がいるが、私はその証拠にお目に掛かったことが無い」と言ったと記録している。ハリソンはさらに、「1828年までにケンタッキー州民の多くはその評価に同意するようになっていた」とも述べていた。 デシェイはその後継者として民主共和党候補のウィリアム・T・バリーを支持した。選挙戦初期の判断では国民共和党候補トマス・メトカーフに対してバリーがリードしていたが、最後はメトカーフが当選した。デシェイはメトカーフと政治的に一致するものが無かっただけでなく、知事という者は高貴に生まれた者であるべきと考えていた。メトカーフはアメリカ独立戦争の軍人の息子だったが、ニックネームの「古い石鎚」が示す通り、石工としてのプライドを示していた。当時石工は平民の職業と考えられていた。 憲法条文の曖昧さのために、メトカーフの任期はデシェイの任期が開ける8日前に始まることになっていた。デシェイは自分の任期を終わらせるようにしないと言ってメトカーフを非難し、公式の任期が終わるまで知事公舎を明け渡さないと脅した。歴史家のクラークは、メトカーフと支持者数人が土地の酒場でしこたま飲んだ後で暴徒となり、知事公舎に向かって力ずくでデシェイを立ち退かせたという伝説を記録している。当時の地元新聞に掲載された証言では、デシェイがメトカーフによる妨害もなく、平和的に公舎を後にしたと報じている。
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