真幸棚田(えびの市)
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出展:日本の棚田百選 | ![]() |
基 礎 諸 元 | 平均勾配 | 団地面積 |
1/8.5 | 0.8 ha |
維持・保全・利活用状況 |
「真幸棚田」はすべて熊本さん夫婦によって営まれている。今後の営農は生産調整等厳しい現状であるが、次世代へ残していけるよう一生懸命営農に取り組んでいる状況である。 |
推薦項目 | 伝統文化の維持保全 |
推薦理由 | 伝統文化の維持保全:「真幸棚田」は標高786mの滝下山の中腹にあり、熊本藤雄さんと妻のハツ子さんが戦後半世紀をかけて築き上げた石の芸術品である。 終戦直後の昭和25年、兵役から復員してふるさとに帰ってきた熊本さんを待っていたのは極度の食料難だった。休息する暇もなく飢えを凌ぐために開拓が始まった。シイやカシなど雑木林や杉林の国有林の払い下げをうけて原木を切り倒し、その傾斜に近くの山や川から一個一個集めて数十万個にもなる石を積み上げてできた畑にヒエ、アワ、陸稲、甘藷などを栽培した。 しかし、日照りが続いて貴重な食物は水のない畑で実りを待たずに枯れ果てた。近くを谷川が流れているが、水源地は国有林とあって取水の許可がとれない。だが、窮状をみかねた営林署が取水に同意してくれたため、谷川から岩を砕いて水路をつくり、待望の水が畑に注がれて、熊本さんの棚田づくりにはずみがつくこととなった。 棚田の畔道に今も岩をくり抜いた水路が残っている。夏の季節には夜中まで月のあかりで一鍬一鍬耕し、朝も薄暗いうちから裏山にでて石を掘り起こして運び、すわりのいい面 を探しながら石積み作業で棚田が一枚ずつ増えてゆく。 それぞれに顔をほころばせて並んでいる石一個一個に熊本さんの思いと歴史が刻み込まれているのである。 |
棚 田 の 概 況 | 枚 数 | 33 枚 | 水 源 | 河川(渓流含む) |
事業導入 | 無 | 法面構造 | 石積 | |
開発起源 | 現代(昭和21年~) |
営 農 の 状 況 | 対象農家数 | 1 戸 | 10a当収量 | 550 kg/10a |
戸当り営農規模 | 0.8 ha/戸 33 枚/戸 | |||
高付加価値農業 | 特になし。 |
特記事項の有無 | 西内堅地区は、昭和47年に大規模な山津波が発生し、大被害を受けた地区でもある。 そ の後も小規模な山崩れが発生しているが、この「真幸棚田」付近においては棚田で止まっており、大規模には至っていない、棚田は水と土を守り、国土をも守る原点である。 「真幸棚田」は土砂浸食防止などの国土保全の役割も果たしている。 |
(注:この情報は平成11年のものです)
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