皇族・後宮とは? わかりやすく解説

皇族・後宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 09:07 UTC 版)

紅霞後宮物語」の記事における「皇族・後宮」の解説

(こう) 文林三男生母安徳妃。顔は文林とそっくり。 小玉後宮入りして間もなく誕生するが、同時に生母死別文林依頼により小玉養母となる。のちに小玉立后したため嫡子として扱われる気難しい子だが小玉には非常に懐いており、一方で文林をあまり好いていない。 祥 雯凰しょう ぶんおう) 3代前の皇帝文林異母兄天鳳帝唯一の嫡女。前馮王に嫁ぎ長女の紅燕、長男の現馮王亮儲ける。1巻前年に夫と死別し、現在は幼い息子馮王の摂政担いながら朝廷ににらみを利かせている。皇族臣下からは王太妃と呼ばれている。 生母皇后であり、父帝鍾愛皇女であったため、皇族の中で最も身分高く、また政治的手腕利殖の才も優れているため、20代前半ながら一族筆頭として扱われる。彼女より立場が上なのは皇帝皇后のみ。 約10年前13歳一時期小玉仕えていた帝姫で、当時大変な我儘かつじゃじゃ馬だったが小玉にはよく懐いていた。父の死後彼女をよく思わない異母兄によって祥姓を賜って馮王家に嫁がされたが、以後小玉動向を追わせていた。 長幸帝ちょうこうてい) 4代前の皇帝文林の父で王太妃の祖父にあたる。 大変な女好き後宮女に溢れ男女問わず子どもも多かったため財政圧迫大幅な人員整理が行われた結果懐妊中だった文林の母は実家戻され文林誕生する皇帝として無能で、いきあたりばったりで駄目な皇帝称される天鳳帝てんほうてい) 3代前の皇帝文林異母兄で王太妃の父。物語開始の約10年前崩御。 父に負けず劣らず駄目な皇帝だったが、父が改名させた六部の名前を職務応じた元の名前に戻した点は評価される。しかしその際さらに改名した部署もあったため、結局更なる混乱招いた千寿帝せんじゅてい) 先々代皇帝文林の甥。名前は栝(かつ)。物語開始の約10年前父の死従い即位。 父に溺愛され、聡明な異母妹の王太妃を疎み、父の喪も明けないうちに馮王家に嫁がせた。これがきっかけ小玉降格込の左遷受けたのである意味小玉紆余曲折きっかけ作った皇帝である。 体が弱く先代2人失政つけを払うために忙殺され結果若死にする健尤帝けんゆうてい) 先代皇帝。名前は棣(てい)。文林とは年が近く友人でもあった。父と同じく病弱であり、皇帝として忙殺され結果1巻開始4年前に崩御文林次代指名し崩御前に傍系皇族粛清することで文林即位させた。 即位前、ある女官との間に娘を儲け、対の筆の片割れ贈っていた。贈った方は娘が、自身持った片方遺品として文林持っている

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