白血病から死去
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夏目は舞台『愚かな女』(1985年2月3日 - 2月24日、PARCO西武劇場)のヒロイン役に抜擢され、福田陽一郎の演出の下、稽古に積極的に取り組んだ。この頃より10円玉大の口内炎ができたり、激しい頭痛が起きたりするなど身体に異変が現れ始めた。共演の宝田明や付き人の銭神信子らに体調不良を訴えつつも、公にしないまま舞台の開幕を迎えた。しかし、その演技は普段の夏目に比べて明らかに精彩を欠くものだったと津川雅彦が述懐している。会期を折り返した2月14日にはついに体調不良を隠せなくなり、公演続行を望む夏目を福田と共演の西岡徳馬が説得し、翌2月15日に慶應義塾大学病院へ入院した。 入院後の検査の結果、急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。夏目の入院とともに夫の伊集院は、仕事を中断し、亡くなるまで母親らとともに看病にあたった。『愚かな女』は福田の意向で代役は立てられず、千秋楽まで10日ほど残したところで公演が打ち切られた。 約7ヶ月にわたる闘病生活を送りながら順調に回復し、退院間近とされる報道がされていたが、8月下旬から抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発した。高熱が続き、9月8日に熱が一時的に引き、この時に夏目本人は退院できるのではないかというほど回復傾向になったと思われたが、翌9日から再び高熱を発し、9月11日午前10時16分に死去した。27歳没。年齢が若いこともあって病の進行も早かった。臨終の言葉は「は・や・く・・・沼田に帰りたい」だった。 戒名は「芳蓮院妙優日雅大姉」と「雅月院梨園妙薫大姉」。前者は小達家菩提寺から、後者は夫の西山家の菩提寺からのものである。菩提寺は、山口県防府市防府駅近くの大楽寺、多磨霊園の小達家の墓にも分骨されている。 遺作は『北の螢』であった。
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