登場人物とそのモデル人物
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「母の死と新しい母」の記事における「登場人物とそのモデル人物」の解説
参考文献は志賀直哉『志賀直哉全集 第二十二巻』(2001年(平成13年)3月 岩波書店)、照魔真人『相馬家騒動実録〔正編〕』(1892年(明治25年)8月 文昌堂)である。 私 - 志賀直哉 12歳の頃の出来事を、29歳の年に執筆する。厳密には執筆年の誕生日以前に書かれるので執筆時の志賀直哉は28歳。作中に13歳と表記されているのは、数え年での計算。 祖父 - 志賀直道 志賀直哉父方の祖父。旧藩主相馬誠胤を毒殺した嫌疑で73日間未決檻に入れられるが、証拠不十分で毒殺の事実が否定され釈放される。 祖母 - 志賀留女 志賀直哉父方の祖母。志賀直哉の兄、直行の死を繰り返さないため、直哉を銀から引き離し、祖父直道とともに育てる。 父 - 志賀直温 志賀直哉の父。 母(実母) - 志賀銀 志賀直哉の生母。1863年(文久3年)9月15日生まれ。志賀直哉が学習院初等科を卒業する12歳の年、1895年(明治28年)8月30日に悪阻から妊娠悪阻になり死亡する。享年は満31歳、数え年では33歳。 新しい母(義母) - 志賀浩 銀の死後、その年の秋に志賀家に嫁ぐ。1872年(明治5年)7月16日生まれ、再婚時は満23歳。志賀直哉との年の差は11歳である。 曾祖母 - 志賀幾 志賀直哉の父方の曾祖母。 四つ上の叔父 - 志賀直方 直哉より4歳年上の叔父。 英子 - 志賀英子 読みはふさこ。志賀直哉の異母兄妹。1897年(明治30年)3月14日生まれ。 直三 - 志賀直三 志賀直哉の異母兄弟。1899年(明治32年)2月16日生まれ。 淑子 - 志賀淑子 志賀直哉の異母兄妹。1901年(明治34年)5月28日生まれ。作品が書かれた1912年(明治45年)1月の時点では10歳。誕生日がくると、この年満11歳。 隆子 - 志賀隆子 志賀直哉の異母兄妹。1903年(明治36年)6月3日生まれ。 女の子(死産) 隆子が生まれた2年後、1905年(明治38年)に死産される。 昌子 - 志賀昌子 志賀直哉の異母兄妹。1908年(明治41年)11月17日生まれ。 女の子 - 志賀禄子 昌子が3歳2か月の正月(1912年(明治45年)1月5日)に生まれる。 直行 - 志賀直行 志賀直哉の兄。1882年(明治15年)に満2歳8か月で病死。 根岸のお婆さん - 佐本ふく 銀の母親。志賀直哉から見て母方の祖母。銀の死亡時満65歳。 新しい母の母 - 高橋タツ 浩の母親。志賀直哉から見て母方の祖母。 かかりつけの医者 - 中井當次郎 芝区巴町の医者。 五、六人 - 相馬順胤(東京市麹町区内幸町一丁目六番地華族)、志賀直道(芝公園地第十一号同家前家令)、泉田胤正(同家家令)、西山りう(被告人相馬順胤の実母)、青田綱三(同家家扶)、石川榮昌(同家家従)、遠藤吉方(同家家従)、中井當次郎(芝区巴町番地不明医師) 実際は8人。
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