番組アラカルト
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「ザ・ヒットパレード (テレビ番組)」の記事における「番組アラカルト」の解説
番組開始当時は一部を除き、スタッフから企画者、出演者、さらには当の椙山など若い20代のメンバーを中心とした新世代番組と言われた。 初代スポンサーは、ラジオ通信という小規模の広告代理店を通して付いた当時名古屋市にあったベルマン化粧品(のちに倒産、再建後は大阪市へ移転)であった が、同社がスポンサーを降りた1961年4月以降は、電通を通して新たにキヤノンや渡辺製菓、ミツワ石鹸 がスポンサーに付き、後に江崎グリコが付いた(この頃にはザ・ピーナッツが開始時に「グリコ ザ・ヒットパレード」の掛け声を行っていた)。1969年頃にはコカコーラ・ボトラーズが提供 となり(この頃には司会が「コカコーラ・ボトラーズ提供 ザ・ヒットパレード」の掛け声を行った)、土曜19時前半枠へ移動した1969年10月にコカコーラ・ボトラーズとシスコの2社提供となった。なお、番組開始当初はスポンサーが付かず、渡辺プロダクションはノーギャラでタレントを出していた。このスポンサー交替に伴い、男性司会者もミッキー・カーチスから長沢純に交代した。 1961年、坂井が結婚によりフジテレビを退社する際、椙山は後任の女性アナウンサーをオーディションで選定したが、椙山が選んだのは豊原であったことにフジテレビは容姿面を理由に難色を示した。しかし、椙山は「可愛くない人間が売れないのであるならば、漫画のサザエさんは売れないはずだ」と逆に一蹴した。 生放送で、当時の2インチVTRが録画装置・テープを含めて非常に高価だったこと、資料用のキネコ録画もされなかったことから映像は1本も現存していないとされて来たが、2013年11月27日に発売されたDVDBOX『ザ・タイガース フォーエヴァー DVD BOX-ライヴ&モア-』にザ・タイガース出演時の一部映像が収録された(『僕のマリー』歌唱シーン モノクロ) 。なお、1959年公開の日活映画『可愛い花』にこの番組が映るシーンがあるが、キネコか新録かは不明。2003年12月27日放送『週刊フジテレビ批評特大号』で当番組を紹介した際、復活特番『ポップス20年~ザ・ヒットパレード』の映像は残っておりそれが一部紹介された。 初期にはザ・ピーナッツがピーナッツを模したセットに入り込み、番組開始時間と同時にそのセットの中から2人が出てきて「ザ・ヒットパレード」と発してスタートする形態を採っていた。
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