田沼時代の幕府の経済状況とは? わかりやすく解説

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田沼時代の幕府の経済状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 08:35 UTC 版)

田沼時代」の記事における「田沼時代の幕府の経済状況」の解説

明和年間までの田沼時代前期向山誠斎雑記にて明和7年1770年)には、江戸城大阪城金蔵合わせて300万両金銀詰まっていたと記載される。また松平定信は、自叙伝宇下人言」の中で、元禄から寛政までの約百年間で、幕府貯えがもっと充実していたのは明和年間と書いている。ただし、これは幕府貯蓄豊かだったという意味であり、幕府収入である財政収支豊かな時代だったという意味ではない。実際明和年間幕府財政収支明和年間1764年から1772年8年内の6年が米・金ともに赤字記録し赤字のない年明和8年以外なく、実際明和年間黒字基調ではなく赤字基調な期間であった宝暦明和期は大旱魃や洪水など天災多発していた。明和の大火では死者1万4700人、行方不明者4000人を超えている。このような変事続いたため年号を安永変更し安寧願った当時落首でも「明和九も昨日限り今日よりは 壽命久しき安永の年」とうたっており天災が収まることが願われている。 このように明和期の幕府財政収支思わしいものではないため、明和年間充実していたという備蓄金は田沼の代表政策である株仲間の推奨俵物生産奨励勧めた明和年間ではなく享保の改革時期備蓄金に加えて郡上一揆などが起こった高年貢率の時代であった享保の改革から宝暦期までに貯えられてきたものであった八代吉宗から九代家重に代わってからの明和に入るまでの20年間のうち最初10年幕府平均年貢率は、享保の改革末期十年平均年貢率である34.38%を超える37.48%の高率であった。そして、その後残り10年税率はほぼ同じ数値推移しており、一八世紀以降では幕府年貢率のピーク迎えていた。 全体的な田沼時代幕府財政年貢米年貢金などの単年度収支からとらえると、田沼時代毎年のように膨大な黒字があった時代ではなかった。田沼時代幕府財政推移をとらえると、宝暦好調期、明和不調期、安永安定期天明の大不調期という推移辿っていった。つまり、宝暦末年以降財政悪化しはじめ、明和の末頃に5ヵ年の倹約令発布した効果もあり安永一時期持ち直したものの、天明には極度に悪化した最終的に天明8年には豊かと言われ備蓄金が81万両にまで急減している。田沼時代とは全体見て天災疫病三原山桜島浅間山大噴火さらには天明の大飢饉天災地変多発した時代だった。それでも幕府破綻しなかったのは家重時代までに貯えられてきた備蓄金のお陰だった。特に安永から天明期とは、実は享保の改革から宝暦期にかけて備蓄した財産食いつぶした時期だったといえる

※この「田沼時代の幕府の経済状況」の解説は、「田沼時代」の解説の一部です。
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