用行組の摘発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/07 08:18 UTC 版)
『長崎略史』では、「用行組の党を罰す」という記事がある。そこでは、用行組と称する会所を創設した長崎会所目付村山正座右衛門と請払役盛(森)弥次郎が、松浦信正の指示を受けてまるで役所のように長崎の市政全般を執り行っていた。しかし松浦の失脚によって会所は閉鎖、村山と盛(森)は 壱岐島へ配流され、島谷又次郎らは追放・免職・隠居に処せられたとなっている。ただし、『長崎略史』の記述には姓名の誤記や他の事件と混同している箇所も多い。 用行組の者たちが奉行所より嫌疑がかけられたのは松田金兵衛が町預となった後のことで、吟味のため「町預」処分になったのは『御仕置伺集』によれば 長崎会所元方会所目付・村山庄左衛門 - 8月13日 同吟味役見習・森弥次郎 - 5月27日 出島乙名・島谷又次郎 - 4月11日 入札商人・伯井長兵衛 - 5月18日 村山庄蔵 - 9月13日 となっている。 またそれぞれの罪状は、 長崎会所目附役村山庄右(左)衛門 豊後天草御米代銀為替商人の上納銀滞納を看過したこと。勘定帳を改ざんしたこと。勘定帳提出のため江戸に赴いた際、そこに長期滞在したことを長崎へ知らせなかったこと。滞在費が不足したので松浦信正に願って人参座から金を受け取り、配分銀を別枠で享受したこと。それらを江戸在府の長崎奉行へも長崎在勤中の奉行にも報告しなかったこと。 長崎会所吟味役助森弥次郎 豊後天草御米代銀為替商人の上納銀滞納を看過し、帳簿を改竄したこと。商売銀の不納を見過ごしたこと。オランダ貿易に関して不届きな処理をしたこと。本来長崎奉行へ報告すべきことを、勘定方へ密かに伺いを立てて勝手に取り計らったこと。地下人達の申請を勝手に裁量し、それに承服しない者を弾圧したこと。村山と同様、配分銀を別枠で受け取ったこと。 元出島乙名島谷又次郎 長崎奉行に無断でオランダ船の見送りと称して近国へ行ったことと、船中において諸事に不届きな処置があったこと。町内の地下人が困るようなことを報告し、奉行の行ったことや地下役人の噂などについて虚偽の報告をしたこと。乙名仲間に独自の集団を結成し、様々なことを企てたこと。新任の長崎奉行が町々を巡見した際、乙名としての役目を果たさず自分勝手に振るまったこと。 長崎入札商人伯井長兵衛 唐人と馴れ合いとなり、通事を介さずに直接交渉したこと。密かに村山たちに掛け合って銀70貫目を受け取ったこと。本来は長崎在勤奉行へ願うのが慣例となっているにもかかわらず、村山を通じて松浦信正からも銀100貫目を受け取る予定であったこと。入札荷物代銀は納めず、宿老手札も渡さず、荷物を密かに売り払ったこと。 であった。宝暦4年(1754年)2月に下された判決は以下の通り。 村山庄左衛門、森弥次郎、伯井長兵衛 - 流罪 島谷又次郎 - 重追放
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