生誕〜小学時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 03:10 UTC 版)
「山田太郎 (ドカベン)」の記事における「生誕〜小学時代」の解説
父和平、母美子夫妻の長男として生誕。読売ジャイアンツの王貞治のファンだった父親はこの時既に太郎を将来のホームラン王にすると息巻いていた。幼少時より太っていたことから、回りの人間には「相撲の方が向いている」と評され続けていたが、それでも父は太郎に野球をやらせることに固執しつづけた。 小学校入学直後の太郎は、4年生以上でなければ入団させられないとのことからリトルリーグへの所属を断られる。父は「身体を作るため」にとひとまず太郎に相撲をやらせることにした。当時から並み外れた体格と運動神経を持っていた太郎は相撲を続けている間、常々2学年上の児童すら圧倒する力を発揮し将来の横綱と目される。 4年生となり野球が始められる年齢となった太郎を、父はいよいよリトルリーグに入れようとする。しかし太郎自身は相撲を続けたがっており、2人のやりとりは平行線にあった。そんな中、父・母・太郎・妹サチ子の山田一家4人は伊東温泉へバス旅行に出かけた際、交通事故に巻き込まれる。4人の乗っていたバスは崖から転落し、山田太郎の両親を含む乗客の多くが死傷する大事故となった。太郎とサチ子は奇跡的に軽傷となる。 太郎は両親を励ますべく野球を始めることを決意し、軟式野球のチームに所属していた友人に自分を試合に出してくれるよう頼み込む。友人は快諾し、自身のポジションであったキャッチャーの守備を一夜漬けで太郎に教え込む。試合当日、怪我を騙って欠場した友人に代わりキャッチャーとして試合に出場した太郎はすぐさまその才能を開花させ盗塁刺殺やサヨナラ本塁打を記録、天才捕手誕生となった。 その日、両親は共に逝去し太郎のユニフォーム姿を見ることなく世を去るが、その後も太郎は後述する中学時代の一時期を除き野球を続けることとなる。
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