生誕からカナダ移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 15:08 UTC 版)
大山盛保は、大山盛善・カメ夫妻の長男として中城村(現・北中城村)大城に出生した。一族は護佐丸・阿麻和利の乱で知られる忠臣・護佐丸の後裔と伝えられる。 尋常高等小学校を卒業すると1927年に一家でカナダに移住する。一時バンクーバーに住むが、ホワイトロック、カグランと居を移し、農園を営んだ。生活は苦しかったが、やがてイチゴの栽培に成功する。1937年、トラックを購入し、運送業を営む。しかし、1941年の真珠湾攻撃を機に太平洋戦争が開戦すると、大山家は海岸部から退去させられ内陸部の強制収容所に入れられ、農園も作物も没収され、家族は離散した。翌1942年に解放された後は、アルバータ州のコールデルでビートの栽培に一家で従事し、1944年には自動車修理工場に就職した。
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