生出塚窯跡で生産された埴輪の分布
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「生出塚埴輪窯跡」の記事における「生出塚窯跡で生産された埴輪の分布」の解説
行田市の埼玉古墳群、坂巻14号墳はじめ埼玉県内の諸古墳、また、千葉県や東京都、神奈川県など東国とくに南関東各地の古墳から、生出塚埴輪窯跡で生産されたとみられる埴輪が出土している。 埼玉県 埼玉古墳群のなかで最大規模の二子山古墳は6世紀中葉に造営されたものとみられ、墳丘長138メートルを有し、古代ムサシにおける最大の前方後円墳である。この古墳の周濠より出土した円筒埴輪の多くは、生出塚埴輪窯跡および東松山市の桜山埴輪窯跡で生産されたものと考えられている。また、全長53メートルの前方後円墳で6世紀前半の愛宕山古墳出土の蓋形埴輪の形状から生出塚窯跡で生産された可能性が高いとされる。また、加須市の種足古墳群からは、古墳時代後期の埴輪として、水鳥、馬、イノシシ、人物をかたちどった形象埴輪が出土しているが、これも生出塚窯跡で生産されたものと推定される さいたま市浦和区の伝東宮下出土の人物埴輪2体には線刻画が施されており、考古資料として重要なものであるが、生出塚遺跡で生産されたものと考えられている。現在、2体とも大宮区のさいたま市立博物館に所蔵されている。また、さいたま市大宮区三橋にあったとされる前方後円墳で6世紀中葉すぎに造営されたとみられる井刈古墳(側ヶ谷戸古墳群)は既に消失してしまった古墳であるが、出土した人物埴輪2点、馬形埴輪2点は騎西町出土の生出塚産とされる埴輪に似ており、やはり生出塚埴輪窯跡で製作されたものである可能性が高い。 大宮台地南端の埼玉県川口市の新郷古墳群にかつて存在した宮脇2号墳は6世紀後半以降造営の円墳と考えられている。宮脇2号墳出土の埴輪も生出塚遺跡で生産されたものと推定され、また、川越市の南大塚古墳群5号墳出土の円筒埴輪も後述の山倉1号墳と同一工人集団による生出塚産の埴輪と推定される。 戸田市の南原遺跡遺跡出土の埴輪(頭部)もまた生出塚で生産されたものと考えられ、以上のような分布状況から、荒川・元荒川の水運が当時にあっては重要な流通経路となっていたことが推察されている。 千葉県 千葉県市原市山倉の山倉古墳群1号墳は全長約49メートルの前方後円墳であるが、2004年(平成16年)、生出塚遺跡で生産された埴輪群が出土した。そこでは、人物埴輪と円筒埴輪が列状に配置された状態で検出されている。人物埴輪の特徴としては筒袖の衣服を着用しているものがあることが掲げられる。山倉1号墳出土埴輪は、考古学的な観察によっても、また、自然科学的な胎土分析の結果からも、すべての円筒埴輪・形象埴輪がいずれも生出塚産であることが判明している。 千葉県市川市国府台の6世紀代の前方後円墳法皇塚古墳(全長約65メートル)でも生出塚遺跡で生産された家形埴輪が出土している。この古墳の埴輪の供給地としては、生出塚遺跡のほか印旛沼・手賀沼周辺の窯業地が推定されている。 山倉1号墳 人物埴輪 法皇塚古墳 家形埴輪 東京都 東京都大田区田園調布に所在する多摩川台古墳群は、6世紀前半から7世紀中葉に営まれたと考えられる古墳群であるが、そのなかに最初につくられた2号墳を前方部、のちに1号墳を後円部として造営した全長約39メートルの前方後円墳がある。ここからも、生出塚産と推定される人物埴輪・円筒埴輪が出土している。 神奈川県 神奈川県横浜市緑区の北門古墳群1号墳(6世紀末、円墳)出土の埴輪も生出塚遺跡で生産されたものと考えられている。北門(ぼっかど)1号墳出土の貴人埴輪は、上述の市原市の山倉1号墳出土の貴人埴輪と酷似している。また、川崎市幸区塚越の塚越古墳でも2013年(平成25年)の調査で生出塚産と見られる円筒埴輪が発見された。これは、生出塚の埴輪が供給された川崎市内の古墳の中では最も古いものとされる。
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