南大塚古墳群とは? わかりやすく解説

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南大塚古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 16:05 UTC 版)

山王塚古墳
南大塚
古墳群
所在地(山王塚古墳地点を表示)

南大塚古墳群(みなみおおつかこふんぐん)は、埼玉県川越市にある計27基からなる古墳群である。同古墳群は4つの支群から構成され、東から西に向かって、豊田町支群(1基)、大塚支群(2基)、豊田本支群(18基)、大袋新田支群(6基)がある。また、関越自動車道が豊田本支群を貫く形となっている。1969年(昭和44年)に埼玉県選定重要遺跡に選定された[1]。このうち山王塚古墳(さんのうづかこふん)が国の史跡に指定されている[2][3]

主な古墳

山王塚古墳(大塚支群)

南大塚古墳群の中で最大規模の古墳であり、国内で数基しか確認されていない上円下方墳の一つ。その珍しい形態と出土品などから、終末期古墳の後半である、7世紀第3四半期(651年~675年)の築造と推定される。下方部は一辺約69メートル、上円部は直径37メートル。確実に上円下方墳と確認されている古墳の中で日本最大の規模。

1958年(昭和33年)に川越市の指定史跡、2023年(令和5年)に国の史跡にそれぞれ指定された。1984年(昭和59年)以降、数回の発掘調査が行われ、同古墳群の他の古墳とは異なる特徴が明らかになった。

山王塚西古墳(大塚支群)

直径32メートルほどの円墳であったが、1916年(大正5年)の開墾で破壊された。主体部は、奥壁および側壁は破壊されているが、南に開口する全長11.55メートルの横穴式石室である。副葬品は、大刀2、柄頭1、刀装具片1、留金具片1、鉄鏃片22、刀子1、鉇1、鍬刃先片1、瑪瑙製勾玉6、水晶製勾玉2、漆塗木製練玉1、ガラス製小玉3、ガラス製臼玉14、水晶製切小玉2、金銅製環9、金銅製環片5が出土している。これらの遺物は一括して2010年(平成22年)2月24日に市指定有形文化財に指定された。

菅原神社東古墳(豊田本支群)

菅原神社東古墳の上に鎮座する菅原神社社殿

直径20メートルほどの円墳。墳丘の上に菅原神社の社殿が建立され、墳丘の変形が見られる[4]

文化財

国指定

  • 史跡
    • 山王塚古墳 - 1958年(昭和33年)3月6日、川越市指定史跡→2023年(令和5年)3月20日、国の史跡に指定。

川越市指定

  • 有形文化財
    • 山王塚西古墳出土品 - 2010年(平成22年)2月24日指定。

脚注

  1. ^ 埼玉県教育局市町村支援部文化資源課 2022, pp. 116–122.
  2. ^ 文化財保護課史跡担当 (2023年3月20日). “山王塚古墳の国史跡指定について”. 川越市. 2023年4月25日閲覧。
  3. ^ 令和5年(2023年)3月20日文部科学省告示第14号。
  4. ^ 南大塚 菅原神社・菅原神社東古墳”. 株式会社 十吉(カワゴエール). 2017年9月14日閲覧。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度53分59.4秒 東経139度27分42.5秒 / 北緯35.899833度 東経139.461806度 / 35.899833; 139.461806




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