生い立ち、プロ入りまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 01:26 UTC 版)
「スコッティ・ピッペン」の記事における「生い立ち、プロ入りまで」の解説
アーカンソー州ハンブルクという中西部の田舎町で12人兄弟の末っ子として生まれる。兄たちとともに幼少期からバスケットボールをプレイした。父親は製紙工場の従業員だったが、貧しい黒人家庭で大家族な上に高校進学の頃に父親が脳出血で倒れて全身が麻痺し、兄弟も2人が病気で亡くなるなど、生活は不幸と困窮を極めていた。働けなくなった父親に代わって家族全員が働き、アルバイトをして食いつなぐ生活だったが、スコッティは末っ子だったためかろうじて高校に入学することはできた。しかし様々なアルバイトを続ける一方でほとんどまともな食事をとったことはなく、当時のスコッテイは体格も小さくてやせ細った少年だったという。高校ではバスケットボールとフットボールをやっていたが、どちらも当初はレギュラーにはしてもらえず、マネージャーやタオルボーイをやっていた時期が長かった。バスケットボールで初めてレギュラーになったのは高校4年生のときだったが、当時は身長は175cm、体重は70kgくらいしかなく、ガリガリに痩せており、高校のコーチが「何であんなに痩せた少年をレギュラーにするんだ」と質問されるほどだった。しかし、当時ポイント・ガードとしてプレイしていたことが、後に試合中の視野の広さやパスのセンス、巧みなボールハンドリングの技術を磨くことになる。 やっと高校を無事に卒業できたスコッテイだが、スポーツ選手としてはNCAA所属の大学からはどこも勧誘を受けなかった。それでも、スコッティの境遇を知る恩師らの努力によりNAIA(全国大学体育協会)所属のアーカンソー中央大学に進学することができた。当初はチームのマネージャーとして入学したが、奨学金を受ける選手に欠員が出たためスコッティが奨学金を得ることとなった。ただし奨学金の額だけで生活するのは難しく、実家からの仕送りを期待することもできなかったので、スコッティは椅子の組み立てなどで副収入を得ていた。 奨学金を得てやっとまともな食事もとれるようになり、大学2年生になる頃には高校時代よりも身長も15センチほど伸び、体重は30kgも増えて200cm、100kg近い体格となり、秘められていた才能が開花し始めた。奨学金も全額支給されるようになった。スコッティは対外試合で平均20得点、10リバウンド以上の活躍をするようになったが、大学と所属リーグがマイナーだったためプロから注目されることはなかった。彼自身も大学を卒業できたら体育教師になって実家に仕送りしようと考えていた。しかしながら大学の監督やプロのスカウトらの働きかけもあって、ついにシカゴ・ブルズのジェネラルマネージャー、ジェリー・クラウスの目にとまるようになる。
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