環境保護と水不足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:14 UTC 版)
だが、開発と自然保護との対立もあった。電源開発は吉野川電源開発計画の中で早明浦ダムを上池、小歩危ダムを下池として揚水発電を行い池田ダムを逆調整池として発電所を建設する計画を立てていた。ところが下池の小歩危ダムが、名勝の大歩危・小歩危を水没させることから地元住民からの猛反対を受け、電源開発計画自体を大幅に縮小せざるを得ない事態となった。同時期、東では尾瀬原ダム計画反対運動が繰り広げられており、河川開発と自然保護の兼ね合いが大きな問題となった。 1982年(昭和57年)には「吉野川水系工事実施基本計画」に基づき第十堰直下流に可動堰を建設して治水・利水を図る「吉野川可動堰計画」が立案された。これに対し流域の市民は計画の内容について国交省に質問し、後に「徳島方式」と呼ばれる国交省と住民、学識経験者と環境保護団体などが共同でシンポジウムや勉強会を開催することになる。川の未来を決めるのは誰かを問いかけるこの動きは2000年(平成12年)に可動堰建設の賛否を巡る徳島市住民投票にまで発展した。結果可動堰には反対する票が投票全体の90%を超え、これを受けて徳島市は建設反対に転じた。さらに2002年(平成14年)の徳島県知事選挙で建設反対派の知事が当選。当時の中山正暉・国交省大臣によって可動堰計画は完全に白紙凍結となった。2010年3月23日 前原誠司・国土交通相は住民投票で白紙となった国の吉野川可動堰(ぜき)計画について「(復活は)ありえない」と中止を明言した。 一方、1994年(平成6年)と2005年(平成17年)に水不足は吉野川に深刻な渇水を招き、特に2005年の渇水では早明浦ダムの貯水率が0%となった。吉野川流域の渇水被害は徳島県だけで約50億円にも上った。また、徳島県が吉野川に保有する慣行水利権の取り扱いを巡り国土交通省四国地方整備局と徳島県が対立するなど水を巡る争いはいまだに収まっていない。吉野川総合開発事業は完了したものの、今後水不足に対しどう対応するかが新しい問題として問われている。
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