開発と自然保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 02:12 UTC 版)
船形山は集落から離れた奥山で、運送難から20世紀半ばまで人の利用の対象にならず、自然のままに育った原生的なブナの森が広がっていた。周辺には、山形県が1951年(昭和26年)に御所山県立自然公園を指定し、宮城県も1962年(昭和37年)側に約4万ヘクタールの広大な県立自然公園船形連峰を指定した。これに続き1966年(昭和41年)に周辺7町村が、山頂付近で奥羽山脈を横断する観光道路の建設を提唱して船形連峰御所山開発促進既成同盟会を作った。この計画は、南の蔵王連峰や北の栗駒山と比べて観光的価値が低いこともあって、実現しなかった。 船形山のブナ林は大部分国有林で、1965年(昭和40年)頃から林野庁が山奥まで林道を張り巡らせてブナ林を伐採し、急速に縮小した。伐採地に植えられたスギやカラマツは育たず、天然更新を待つとして事実上放置され笹地になるところが多かった。1985年(昭和60年)4月に周辺の住民が結成した「船形山のブナを守る会」によれば、結成時点でかつてのブナ林の3分の2が消滅していたという。21世紀に入る頃に伐採は止み、破壊された森は再生に向かっている。
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