開発と西部戦線での運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/01 01:11 UTC 版)
「ヴォワザン LAS (航空機)」の記事における「開発と西部戦線での運用」の解説
LASは、従来より補強された機体構造を持ち、より強力なエンジンを搭載する機体として設計された。1915年中盤に量産が開始され、年末までに350 機が製造された。しかしながら、西部戦線の実戦活動においてはヴォワザン機は役に立たないということが明白になった。機体の飛行速度は足りず、搭載武装も火力不足であった。1915年秋には、フランスはヴォワザン機によって行なわれていた昼間爆撃任務を中止せざるを得なくなった。ヴォワザン機は、当初は夜間爆撃機に転用されたが、1916年になると前線から撤収され、練習機として使用されたり、部隊の後方支援任務に回されたりするようになった。
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