理性、直観、創造性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 21:38 UTC 版)
「ヨーゼフ・ボイス」の記事における「理性、直観、創造性」の解説
ボイスは戦時中から復員後、1950年代末まで、人間や植物などを題材にした多くのドローイング(素描)を集中的に描いた。それらはときどきはっとするほどの完成度を見せながらも、人間や植物などを、崩れ落ちそうなほどの危うげなぎくしゃくした線で描いた落書きのような印象のものである。やがて、1960年代に入り脂肪やフェルトを素材にした立体作品が、またさまざまなパフォーマンスが現れる。 ドローイングも立体もパフォーマンスも、どれも粗悪な紙や廃棄物やありふれた物質などのみずぼらしい素材を使った、完成しているのかしていないのか定かでなく、多義的で理解しがたいものばかりである。しかし彼にとって造形的な作品は結果物や目的ではなく、より高次元の造形過程や意識生成過程の途中にできたものであった。作品は彼にとって想像をかき立てたり直観をよびおこしたりする物質を使っており、彼はその直観を受け手にも共有させ、送り手と受けての間の議論の出発点となる、問題定義のための装置として、また人間が自己を実現しうる新しい存在領域を形成するための手がかりとして機能させようとした。もっともこうした直観はボイスの思想体系の中で成り立っており、ボイスならぬ受け手の側では共有しかねるものであり、ボイスはそのことを否定せず、対話や説明でヒントを与え、議論のきっかけを作ろうとしていた。 また彼のわかりにくい作品は、論理的な人間の理性の部分ではなく、より原始的で直観的な、感性的な部分にダイレクトに訴え、受け手の中にイメージを喚起しようとした。彼によれば理性とは論理で検証できる、結晶のように凝縮した、量における思考のことであった。他方で直観とは、思考の拡大であり質による思考であった。直観の有機的な原理は理性的思考を包含しており、直観は理解のより高次な形式である、というのが彼の考えであった。さらに加えて「創造性」が理性と直観の橋渡しをするとし、創造性と直観によって人間は自分自身を糧として自律的に発展してゆけると考えた。 こうして彼は、芸術と科学や、科学と人間の間にできた亀裂を、神話的な作品や儀式のようなパフォーマンスで修復するシャーマンのような存在として活動することになる。
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