現存するバカン伯爵位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 06:46 UTC 版)
現存するバカン伯爵位はジェイムズ・ステュワート(英語版) (1442–1487) が1469年にスコットランド貴族爵位バカン伯爵とオーチターハウス卿 (Lord Auchterhouse) に叙位されたのに始まる。彼はアレクサンダー・ステュアート(英語版)(ロバート2世の曾祖父)の次男ボンキルのジョン・ステュアート(英語版)の子孫でローンの黒騎士 (the Black Knight of Lorn) の異名を取っていたジェームズ・ステュアート(英語版)とスコットランド王ジェームズ1世の未亡人ジョウン・ボーフォートの間の次男であり、初代アソル伯爵(英語版)ジョン・ステュアート(英語版)の弟にあたる。初代バカン伯は1471年から1473年、1478年から1484年にかけてスコットランド宮内長官(英語版)を務めた。 3代伯ジョン・ステュアート(英語版) (1497頃–1551) まで男系男子で継承されたが、3代伯が死去した後、3代伯の先だった長男の唯一の娘だったクリスティーナ・ステュアート(英語版) (-1580) が4代女伯爵を継承した。彼女は第6代モートン伯爵ウィリアム・ダグラス(英語版)の弟にあたるロバート・ダグラスと結婚し(妻の権利(英語版)によりロバート・ダグラスも4代バカン伯となる)、その間の息子ジェイムズ・ダグラス (-1601) が5代伯を継承したが、彼には娘メアリー・ダグラス (-1628) しかなかったので、その死後はメアリーが6代バカン女伯を継承した。彼女は第19代マー伯ジョン・アースキン(英語版)の息子で第20代マー伯ジョン・アースキンの弟にあたるジェームズ・アースキン(英語版) (-1640) (妻の権利で6代バカン伯)と結婚した。その間の子ジェイムズ・アースキン (-1664) が7代バカン伯を継承した。 しかしその息子である8代伯ウィリアム・アースキン (-1695) が未婚のまま死去した後、スコットランド議会は妻の権利で第6代バカン伯だったジェームズ・アースキンの弟の孫にあたる第4代カードロス卿(英語版)デイヴィッド・アースキンが9代バカン伯を継承したことを認めた。8代伯の姉マーガレットの息子が異議を唱えたが、スコットランド議会は1698年にデイヴィッドの爵位継承を承認した。これ以降、2019年現在まで9代バカン伯の男系男子によりバカン伯位は継承されている。彼以降は初代バカン伯から系図を辿ることができなくなった。スコットランド貴族爵位は1707年まで爵位継承方法が勅許状などによりしばしば変更された。バカン伯位もその一つだった。 9代伯の死後はその息子のヘンリー・アースキン (1710–1767) が10代伯を継承。彼の死後はその息子デイヴィッド・アースキン(英語版) (1742–1829) が11代伯を継承。11代伯は、スコットランド考古協会(英語版)の設立者であり、ほかにも様々な文化事業の後援者であった。1792年にはアメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンにウィリアム・ウォレスの身を守ったと伝えられる木製の嗅ぎたばこ入れ(スナッフ・ボックス(英語版))を贈っている。 11代伯の死後は甥にあたるヘンリー・アースキン (1783–1857) が12代伯爵を継承。1850年に12代伯の妻キャロラインと、息子の13代伯デイヴィッド・ステュアート・アースキン (1815–1898) はローマ・カトリックに改宗している。 13代伯の死後は息子のシプリー・アースキン (1850–1934) が14代伯を継承し、ついでその息子のロナルド・アースキン (1878–1960) が15代伯を継承した。15代伯の死後、10代伯に遡っての分流である第7代アースキン男爵(英語版)ドナルド・アースキン (1899–1984) が16代伯位を継承した。彼は10代伯の三男の初代アースキン男爵トマス・アースキン(英語版)の来孫にあたる。16代伯の死後、その息子のマルコム・アースキン (1930-) が17代伯爵を継承した。彼が現在のバカン伯である。 バカン伯爵家の邸はハンプシャー・ニューナム(英語版)にあるニューナム・ハウス (Newnham House)。
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