現代フィリピンにおけるバスクの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 16:24 UTC 版)
「バスク系フィリピン人」の記事における「現代フィリピンにおけるバスクの影響」の解説
現代のフィリピンでは、バスク系フィリピン人はバスク系人としてよりもスペイン系人として知られている。バスク系フィリピン人はもはやバスク語を話すことはなく、ヒリガイノン語、ビコール語、セブアノ語などの地域言語が優勢である。1973年憲法の条文ではまだスペイン語が公用語に含まれていたものの、1987年憲法ではついにスペイン語が公用語から外された。1987年憲法では英語とフィリピン語が公用語となり、フィリピン政府はタガログ語を基にしたフィリピン語を国語として奨励。アメリカ占領下でさえもエリート層の間で支配的だったスペイン語の伝統は弱体化した。教育面でもスペイン語が教えられる時間は減らされており、今日のバスク系人の多くはスペイン語でさえも話すことができない。 今日のフィリピン女性が着用する短い裾のついたブラウスは、バスク人女性が着用していた衣服に起源をもつ。ラテンアメリカやアメリカ合衆国西部にはエウスコ・エチェア(英語版)と呼ばれるバスク人センター(文化発信地)が数多く存在するが、フィリピンにはバスク人センターに相当する施設は存在しない。またラテンアメリカやアメリカ合衆国にはバスク人クラブ(交流拠点)が数多く存在するが、今日のフィリピンにバスク人クラブは存在しない。 1998年にはバスク系フィリピン人のアントニオ・M・インチャウスティやフィリピン文化省などによって、ウルダネータの生誕500周年記念祭典が開催された。近年のフィリピン政府とスペインのバスク州政府は強固かつ積極的な関係を築いている。経済的・文化的・技術的な協力を強化するために、2007年12月にはフィリピンのグロリア・アロヨ大統領がバスク州を訪問した。2009年にパチ・ロペスがバスク州政府首相に就任すると、7月9日にバスク州政府が初めて迎えた公使がフィリピン公使だった。パチ・ロペス首相とフィリピン公使は、学術交流、フィリピン人医療従事者のバスク州への派遣、パラワン島開発計画、アウロラ州カシグラン(英語版)での漁業発展計画などについて会談した。フィリピン政府は公式に「バスクはフィリピン社会の中で特別な位置にある。スペインの植民地時代のフィリピンにおいて、バスク人は政治的・経済的・社会的な発展に貢献した」との声明を出している。
※この「現代フィリピンにおけるバスクの影響」の解説は、「バスク系フィリピン人」の解説の一部です。
「現代フィリピンにおけるバスクの影響」を含む「バスク系フィリピン人」の記事については、「バスク系フィリピン人」の概要を参照ください。
- 現代フィリピンにおけるバスクの影響のページへのリンク