現代フェニックスと太平洋ドルフィンズ売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:38 UTC 版)
「現代ユニコーンズ」の記事における「現代フェニックスと太平洋ドルフィンズ売却」の解説
1990年代中盤は、韓国プロ野球の隆盛期で1995年では2007年まで破られていない観客動員500万人を記録するなど、プロ野球は世間から注目の的にされた。この波に乗って新球団を創設してプロ参入を狙った現代グループは、その企みが既存KBO球団の反対で頓挫して、代案としてアマチュア社会人球団のフェニックス球団を創設。1994、1995年のシーズンオフにプロの指名を受けた多くの大卒選手を既存のプロ球団よりも高い巨額の契約金で誘って入団させ、既存KBO球団を困らせた。フェニックス球団は名目上は大韓野球協会に所属する社会人球団だったため、プロの指名を受けた選手たちが入団するのに一切問題なかった。しかし、現代グループによる新リーグ発足構想は、KBOに未参加の企業の中で財政的に野球団を運営できる規模を持つ企業が少なかったため、思ったように進まなかった。現代グループは既存球団の買収に方針を転換して、度重なる赤字で球団経営の意欲を失いつつあった太平洋グループ側に接近。1995年シーズンが終わる頃、太平洋グループは約470億ウォン(当時のレートで約65億円)で現代グループへの球団売却に合意したと報道された。そのあと、新球団名はファン公募を通じて現代ユニコーンズに決定された。 念願のプロ野球参入に成功した現代グループはフェニックス所属の選手を人質にして、入団時に結んだ契約を解除(現代フェニックスに入団する選手たちがチームを去ってプロに入ろうとしたら、入団時に受けた契約金の5倍の違約金を返すことになっていた。その額数があまりにも巨額だったため、どの球団も指名したフェニックス所属選手に手を出せなかった)して元の指名した球団への入団を承諾する代わりに、これらの選手たちを指名した球団の主力クラスの選手たちを無償トレードの形で譲ってもらった。 選手に払った契約金はプロにも負けない高額だったものの、現代フェニックスはあくまでもアマチュアチームであり、太平洋ドルフィンズを受け継いだ現代ユニコーンズはプロの球団として、フェニックス所属選手に対する保有権がなかったため、このような手を使って、実質的には交換トレードであったが、形式上では獲得選手は無償トレードで移籍、フェニックス所属選手はアマチュア出身の新人として指名球団に入団したことになる。ちなみに、この時、韓国プロ野球では1次ドラフト指名選手に対して、永久交渉権が与えられ、フェニックス所属の選手をユニコーンズに入団させる方法はなかった。
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