猪名部氏についてとは? わかりやすく解説

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猪名部氏について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:59 UTC 版)

猪名部神社」の記事における「猪名部氏について」の解説

この春澄高子(後に改名して治子)は参議従三位式部大輔春澄善縄長女で、清和、陽成、光孝宇多醍醐の5朝に出仕した。特に宇多天皇からの信任厚かったとされる。 善縄は猪名部造で、祖父員弁財麿は伊勢国員弁郡少領、父の員弁豊雄は周防国大目従八位下という官人では最も低い階位であった。善繩は幼くして聡明勤勉して出世果たし天長5年(828年)に善繩と兄弟姉妹五人が春澄宿祢の姓を下賜された、氏人には善繩の女子高子の他に、男子に具胆(従五位上鋳銭長官周防守、具瞻とも)、魚水縫殿従五位下)らがいたとされる。善縄は仁明文德清和の3朝の御代出仕し藤原良房伴善男安野豊道とともに六国史の第4である続日本後紀著しており、『扶桑略記』に「在朝の通儒」と言わしめている。最終的に従三位参議式部大輔讃岐守の兼任在任のまま貞観12年(870年)に死去している。高子猪名部神社奉納したのは、父の死去から3年後ということになる。 猪名部氏の出自には諸説ある。『日本書紀』応神31年8月条に、朝廷の船五百隻を造って武庫水門(むこのみなと)に停泊させていたところ、新羅の遣の船から失火朝廷の船が全焼したため、新羅の王はその贖罪として、自らの優れた工匠倭国献上した。この工匠一族猪名部の祖という、とある。しかし、『新選姓氏録』には、祭神伊香色男命は猪名部氏の祖神で、天孫瓊々杵尊の兄、饒速日命の六世の孫と記されている。『先代旧事本紀天神本紀には、饒速日命天降りした際に5人が供奉したとある。これを「五部人(いつとものおのかみ)」と呼び、それらは 天津麻良(あまつまら) - 物部造等の祖 天津(あまつゆそ) - 笠縫部等の祖 天津赤占(あまつあかうら) 富々侶(ほほろ) - 十市部首等の祖 天津赤星(あまつあかぼし) - 筑紫(つくし)弦田物部等の祖 とあり、このうち天津赤占あるいは天津赤星猪名部氏の祖であるとしている。 社伝では、猪名部氏は、攝津国兵庫県)の猪名川周辺から移住してきたとしている。北摂地方現在の伊丹市尼崎市宝塚市池田市付近)にはかつてヤマト王権時代猪名県置かれ、為那都比古を首長とする一族支配していたとされる。ただしここから員弁財麿、豊雄に至る系譜明らかになっていない和銅6年(713年)、第43元明天皇勅命により、猪名部の族名が転じて員弁」とされた。 出自直接関係づける史料はないが、この猪名部木工建築匠の技術を持っていたことが伺われ、天平17年(745年)8月に第45聖武天皇の勅で始まった東大寺建立に、猪名部氏族から猪名部百世大工(=棟梁)として、飛騨の匠の益田縄手少工(=副棟梁)として動員され完成している。さらには法隆寺石山寺興福寺建立にも携わった記録残り古墳出土品からは飛鳥寺建立にも携わっていることが知られている。

※この「猪名部氏について」の解説は、「猪名部神社」の解説の一部です。
「猪名部氏について」を含む「猪名部神社」の記事については、「猪名部神社」の概要を参照ください。

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