狩猟犬と闘犬としての利用とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 狩猟犬と闘犬としての利用の意味・解説 

狩猟犬と闘犬としての利用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:27 UTC 版)

秋田犬」の記事における「狩猟犬と闘犬としての利用」の解説

秋田犬祖先は、「秋田マタギ犬岩手犬)」と呼ばれるマタギ犬である。秋田犬近世には武士豪農によって番犬として飼育されていた。 江戸時代出羽国北部秋田地方は、佐竹氏秋田藩)によって治められた。佐竹氏関ヶ原の戦いでの日和見的な態度により、常陸国から転封された外様大名であり、江戸幕府によって藩内の築城武力の向上が厳しく警戒された。このため慶長年間1630年寛永7年)頃より、藩士闘志を養うためとして闘犬奨励した佐竹家では久保田城佐竹宗家中心として、一族東家西家北家南家を、それぞれ久保田城下、大館角館湯沢配した佐竹西家小場家)の治め大館地方では特に闘犬が盛んとなり、体が大きく強いを望む人々の手によってマタギ犬土着などの交配が行われ、秋田犬原種となった時代移って秋田闘犬熱は衰えず明治時代になると、他の地方犬種外国産の大型犬種との交配積極的に行なわれるようになった1897年明治30年)頃からは、秋田並んで闘犬の盛んであった高知県から土佐犬四国犬)が入ってきており(その後土佐犬洋犬との交配大型化する)、さらに日清戦争以降は、南樺太渡った人たちが持ち込んだ樺太犬北海道犬入っている。 一方洋犬種としては、まず大館に近い小坂銅山ドイツ人技師飼い犬であったマスティフ思われると、明治中期以降には、ジャーマン・シェパード・ドッググレート・デーンなどとの交配行われた。これによって立耳巻尾といったスピッツタイプ本来の特徴失われた旧来の秋田マタギに対して新秋田」と呼ばれた江戸明治盛んに行われた闘犬も、明治末の1908年明治41年)に至り社会的弊害鑑みて、ついに秋田県下に闘犬禁止令が発令された。警視庁闘犬闘鶏闘牛全国禁止するのが1916年大正5年7月26日のことであり、それに8年先駆けて禁止令は、県下での白熱ぶりを偲ばせる洋犬との雑化によるタイプ乱れに、闘犬禁止令、洋犬人気の高まりなどが重なって秋田犬にとっては不遇の時代がしばらく続いた

※この「狩猟犬と闘犬としての利用」の解説は、「秋田犬」の解説の一部です。
「狩猟犬と闘犬としての利用」を含む「秋田犬」の記事については、「秋田犬」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「狩猟犬と闘犬としての利用」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

狩猟犬と闘犬としての利用のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



狩猟犬と闘犬としての利用のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの秋田犬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS